Monday, September 12, 2011

官僚とメディアが仕組む大臣更迭劇の裏側

歴史的な政権交代をしてから、民主党叩きが激しい。鉢呂大臣辞任のニュースには、日本を支配する「頭のない化け物」の高笑いが聞こえた気がした。


鳩山首相の普天間問題、菅首相の福島原発への対応など、民主党には試練続きだ。振り返れば、民主党の大勝となった2009年は戦後でも珍しいほどの初当選者の多い選挙だった。優に3分の1を超える衆議院議員が新人だ。さらに見ていくと、自民党そして民主党が公務員制度改革を声高に云い始めたのは、初当選率の上昇期と重なる。当選回数の多い大物議員が族議員として睨みを利かせ、党内をまとめ政策を通すかわりに各省に便宜を図らせるというあうんの呼吸の政治スタイルが消滅し始めた時期と重なる。経済的にも衰退し、歳入が苦しくなるなか、公務員制度改革と同時に財政改革も叫ばれるようになる。


政治家とのあうんの呼吸の二人三脚が無くなったことで、官僚の力は衰えるどころか、自らの権益を守る政治的代弁者がなくなったことで、前よりももっと露骨な形で情報操作・サボタージュに走るようになった。いわば、隠れていた日本政治の恥部が表にでてくるようになる。


それでもまだ自民党政権のあいだは多少の遠慮があった。なぜなら、政権交代は困るからだ。
とはいえ、記者クラブメディアとタッグを組み、不思議な大臣更迭劇を数々仕組むことで、時々の首相に圧力をかけてきた。 小泉首相は政治力学を巧妙に使うことで政権を運営したが、つづく政権はそうはいかなかった。これは首相の力量不足ともいえるが、経験の少ない議員の増加にも問題はあるだろう。


末期の自民党政権においても辞任続きの農水大臣は鬼門になり、最後は絆創膏大臣などと揶揄され赤城徳彦大臣が辞任。政治家としてランクが上で将来が有望視されていた中川昭一財務大臣は酩酊記者会見で辞任に追い込まれ、そして死亡に至る。中川大臣の話は、本来ならば、同行していた財務省の事務方が会見をキャンセルすれば済んだ話である。腰痛もちで鎮痛剤をもちいることもある中川氏が酩酊状態に陥ることは知られていた話であり、 日本の恥を世界に晒すのではなく、そのような事態を防ぐことこそが事務方の仕事だろう。ところが当時の日本のメディアにそういった論調は見られなかった。


自民党内閣に対してでさえ、背後から刺すようなことを平気で行った霞ヶ関だ。政権交代が起こると容赦も遠慮もなかった。まずは、政権交代が決まった2009年8月の選挙後に農水省などの事務次官らが苦虫を噛み潰したような顔で行った記者会見を思い起こして欲しい。「民主党政権に協力していくと」わざわざ事務方のトップが僭越にも記者会見する国が先進民主主義国のどこにあるだろうか?まだ明治元勲の時代だと思っているのか?そして、その片棒を担ぐ大手メディア。これらの記者会見がいかに異常なものなのかを報道せず、さも普通のことであるかのように国民に刷り込んだ。自民党長期政権下で自民党の権力者に近づき、官僚制と和気合いあいやってきた記者クラブにとって、政権交代など最初からまっぴらだったのだ。しかも、情報の透明化、会見のオープン化、クロスオーナシップの見直しなどという民主党政権なんて息の根をとめたくてウズウズしていたのだ。




鳩山内閣の掲げたマニフェストに従い、こども手当てを策定、天下りを禁じた長妻厚労相に対しての厚労省と記者クラブの攻撃はすさまじかった。


私見だが、在日外国人の海外居住の子弟への子供手当ての支給は、さも民主党の失策のように新聞であげつらわれたが、あれは厚生省の仕込みだと考えるのが妥当だろう。厚生省も他省も、特別会計のように自分らの財布のようにちょろまかすことができるお金の流れは大歓迎なのだが、子供手当てのように一般財源からそのまま国民の懐にながれる給付に対しては徹底抗戦をしかける。つまり、厚生省的には、年金や雇用保険は特別会計にながれるので大歓迎だ。大抵の場合、法律の文言に被保険者の福利向上関連事業への支出を許すことが書かれており、これを盾にグリーンピアだの、自分らが天下る外郭団体への支払いに回す。子供手当てはそういう旨い汁がない。しかも、財源捻出のために民主党では事業仕分けをするといっていたわけで、美味しい事業を廃止される危険があった。さらに、年金保険のいいかげんさについても長妻大臣はうるさく、とにかく抹殺せねばならない存在だった。


このような背景があるので、私は厚生省による恣意的なサボタージュとして、外国人子弟への子供手当て問題・スキャンダルがあった、とみている。子供手当て担当の局長は長妻大臣とやりあい、当然のことながら、そのサボタージュゆえに左遷された。おそらく、この局長その上司らは、こども手当て法案にわざと問題点をもたせ、それを自民党にリーク。自民党は丸川珠代に華を持たせるために、彼女にネタを提供し、彼女が国会で長妻大臣を追及した、というのが真相だろう。


長妻大臣寄りの記事を書いたのは日刊ゲンダイのみ。朝日などは露骨に厚生省の応援記事を書き、長妻氏がまるで異常者のように書きたてた。


ところが、こんな官僚と記者クラブの嘘がまんまと通るのが日本なのである。菅内閣で長妻氏は実質的に格下げされた。総務大臣として改革しようとした原口大臣も同じ運命だ。


結果として、まんまと頭のない化け物も思う壺だった。他の大臣らは萎縮し、首相も官僚のいいなりになる。信じがたいことだが、あの仙谷氏も最初は改革をちょっとは志向していたらしい。が、権力の臭いを嗅ぎ、あっさりと政策を切る。官僚と記者クラブと仲よくしていれば権力者のように扱ってもらえるからだ。(仙谷氏の転向については、経産省の改革派として辛酸を舐めた古賀氏の『日本中枢の崩壊』に詳しい。)


改革派の鉢呂大臣のクビを切るくらい簡単な話なのだ。河野太郎氏のブログによれば、鉢呂氏は、かなり大胆な人事を構想していたらしい。官僚が嫌うのが人事をいじられることだ。さらにこの場合は、原子力ムラも総出で鉢呂切りを応援したことは想像にかたくない。


鉢呂氏の首をいとも簡単に差し出した野田という政治家も所詮、仙谷らと変わらないのであろう。それとも、前原のスキャンダルを抑えてもらうこととの見返りで改革派の鉢呂を切ったのか。


日本の問題は、このような顔の見えない官僚制と記者クラブそして東電のような政治的企業が裏で全てを牛耳っていることにある。何回も書いてきたが、さながら頭のない化け物に支配されているのが日本という国なのだ。