Friday, September 16, 2011

古賀茂明が語る日本の電力会社の権力のカラクリと期待できない野田政権

このブログでもすでに、経産省の改革官僚の古賀茂明氏については触れたが、今日は9月13日の「ニュースの深層」に出演した古賀による日本の権力のカラクリと野田首相の所信表明の分析を紹介したい。(是非、下のリンクで本人自身の言葉を聴いていただきたい。)

Youtubeでは3部に分かれてアップされているので、それぞれの内容を順序下記で紹介していくが、核心部分は第2部だ。ここで焦がしは非常に解り易く日本の権力構造のカラクリを明らかにする。第3部は野田首相の所信表明分析。一言で言えば、野田首相は何もわかっていない。一部の要約内容にざっと目を通していただき、第2部からご覧になることをお勧めする。

一部:公務員改革、座敷牢、枝野新経産省大臣について

主に上杉による古賀氏の紹介だ。古賀氏はもともと自民党時代に公務員制度改革に尽力した人物だが、これゆえに霞ヶ関全体を敵に回してしまう。民主党に期待するも裏切られ、省内でも仕事を与えられずに19ヶ月のあいだ実質的な「座敷牢」生活を強いられる。(この辺の詳しい経緯については『日本中枢の崩壊』が詳しい。)

古賀氏はもう役所を辞めることを大臣に伝えたとのこと。

枝野新経産省大臣については、業績という面で何もない人であるとバッサリ。口は達者で、いろいろいうが何をいっているのかはっきりせず、そこが霞ヶ関的には「安定感」ということになる。





2部は、それまでの「座敷牢」ではなく、もっと激しい古賀追い出し対策が始まったこと、とそれがなぜなのか、から始まる。こ の2部が核心部分ともいえる。古賀氏は恐らく電力会社の逆鱗に触れたことが理由だろうと推察。どうして電力会社には官僚の人事を動かすような権力があるの か?

電力会社の権力の源泉

*地域独占である為に、絶対に事業に失敗しない。
*総括原価方式である為に、コストそのものに利潤を載せることが許されている。つまり、コスト削減という経営努力をしないことで利潤が増える仕組み。(総括原価方式についての説明はここをクリック。)    

古 賀氏はこの仕組みがどう権力基盤につながるのかのカラクリを説明。コスト削減の必要がないどころか、コスト高であればあるほど儲かる電力会社は非常に発注・購入額の大きい企業。受注側の企業にとっては、高値でなん でも購入・受注してくれる非常に有難い顧客となる。この為に経済界は電力会社に足を向けては寝られない。電力会社には全く逆らえない。気に障るようなことも いえない。

さらに政治家への睨みも利かせている。地域経済そのものが電力会社により\潤うので、電力会社に嫌われる政治家は当選できない。 自民党議員は地元の経済界の応援で当選するので、電力会社には逆らえない。民主党は電力労連に抑えられており同じこと。連合のなかでも電力産業の組合は非常に影響力。連合が議員に踏み絵を踏ましている。

監督官庁の経産省はといえば、実は電力料金には税金が入っている。これに気づく消費者は少ない。広く薄くとっている。これが経産省のコントロールする特別会計に流れる。このお金を手放したくない経産省は色々いえない。


それに経産省が送電分離など電力会社の嫌がることをやろうとすると、政治家を使って圧力をかけてくる。人事で圧力かけたり、電力とは関係ない法案を通そうとする際に嫌がらせされる。

経産省にとっては、電力は大切な天下り先だが、経産省が力をもって天下りをさせているのではなく、OBが人質に取られているイメージ。つまり、 「言うことを聞かないとこの天下りポストはないよ」ということ。警察あるいは他の省庁からも満遍なく沢山天下っており、霞ヶ関への影響力大。

また、電力会社は官僚の子弟を雇用することでも影響力を行使。政治家の子弟も同じこと。 

 (追記 例えば、自民党の石破氏の娘も東電だ勤務だし、日刊ゲンダイによるとなんとこともあろうに原子力保安院の西山氏の娘もやはり東電勤務 (2011年4月27日付記事 リンクはココ)。

司会の上杉隆はここで、警察の天下りに見られるような国家への食い込みにより、電力会社は事故を起こし被害を出しても、生ユッケなどとの場合と異な り、誰も捜査の手が入らないのか、と指摘。日本はドイツ、米、仏のメディアがいうように原子力国家、原子力マフィア、原子力ロビーの国。

ここでメディアと電力会社の問題。電力会社の広告額は膨大。古賀はメディアの広告収入に一社が占める比率への規制があるべきと主張。 (上杉による と諸外国ではこういった規制のある国が多いとのこと。東電800億円、パナソニック700億円 トヨタ億円。一社が抜けると経営成り立たない、と上杉。) なぜ独占企業体に広告が必要なのか?


メディアの人間が電力会社に接待されお友達になってしまっている。電力会社のトップに可愛がられたり、ダイレクトに電話きる関係にあることを自慢する報道の人間がいる。全くの癒着。


発送電分離などで競争を導入する。しかも、発送電分離が主流。なぜ、河野太郎くらいしか発送電分離という政治家はいない。

古賀はここでまたさらに提言。消費者からすると電力料金は税金と一緒。なのに、コストの内容は秘密。電力会社は請求書一枚一枚開示すべき。 ところが、そうすると民間会社だと言い訳する。理不尽。


3部 当たり前のことが通用しない原子力国家日本、東電処理策の問題点 野田政権所信表明の中味のなさ


東電救済策とも揶揄される処理案だが、古賀は禍根を残すのではないかと危惧する。中国などが海洋汚染での賠償請求を準備している。現在の東電処理策だとういった一切合財の賠償金が政府にかかってくる。日本国家そのものの存続が危うくなる。政府もメディアも状況認識が甘い。

官僚は答えのない問題解決は苦手。過去問などを勉強して試験が得意な人たち。東電処理策も過去の類似事例(JALやチッソ)をずらあ~と並べて研究。「でも昔の例と違う」なると思考停止に陥る。

野田政権の所信表明  増税への道筋を見ているだけ。経済の真の問題が何なのかわかっていない。財務省もわかっていないのだろう。確かに予算の為に44兆円の赤字国債発行がある。税金20%上げれば一年分の赤字は消せても累積赤字が消えるわけじゃない。縮小していく経済をどうするのかが本当の問題。全くこの問題の解決策がない。

成長と財政再建を両立させるという抽象論のみ。中味がなさすぎ。

成長産業として、環境エネルギー・医療・農業というが、いずれも規制でがんじがらめの産業で、規制緩和の気配はない。なぜなら、電力会社、医師会、農協などが強い部門。に気を使い政治家が強い者に媚びて、結局は弱い者にしわ寄せするから。増税することが闘う政治家みたいにしているが、つまり弱い者にしかけた戦い。

行政改革も公務員制度改革も全くなし。笑えるの事業仕分けの「深化」。大失敗だったはずなのに、この「深化」というのは役人言葉。過去の過ちをみとめない典型的語彙。







関連では:現代ビジネスの「総力特集 原発マネーに群がった政治家・学者・マスコミこの国は電力会社に丸ごと買収されていた」 http://gendai.ismedia.jp/articles/print/4845

Monday, September 12, 2011

官僚とメディアが仕組む大臣更迭劇の裏側

歴史的な政権交代をしてから、民主党叩きが激しい。鉢呂大臣辞任のニュースには、日本を支配する「頭のない化け物」の高笑いが聞こえた気がした。


鳩山首相の普天間問題、菅首相の福島原発への対応など、民主党には試練続きだ。振り返れば、民主党の大勝となった2009年は戦後でも珍しいほどの初当選者の多い選挙だった。優に3分の1を超える衆議院議員が新人だ。さらに見ていくと、自民党そして民主党が公務員制度改革を声高に云い始めたのは、初当選率の上昇期と重なる。当選回数の多い大物議員が族議員として睨みを利かせ、党内をまとめ政策を通すかわりに各省に便宜を図らせるというあうんの呼吸の政治スタイルが消滅し始めた時期と重なる。経済的にも衰退し、歳入が苦しくなるなか、公務員制度改革と同時に財政改革も叫ばれるようになる。


政治家とのあうんの呼吸の二人三脚が無くなったことで、官僚の力は衰えるどころか、自らの権益を守る政治的代弁者がなくなったことで、前よりももっと露骨な形で情報操作・サボタージュに走るようになった。いわば、隠れていた日本政治の恥部が表にでてくるようになる。


それでもまだ自民党政権のあいだは多少の遠慮があった。なぜなら、政権交代は困るからだ。
とはいえ、記者クラブメディアとタッグを組み、不思議な大臣更迭劇を数々仕組むことで、時々の首相に圧力をかけてきた。 小泉首相は政治力学を巧妙に使うことで政権を運営したが、つづく政権はそうはいかなかった。これは首相の力量不足ともいえるが、経験の少ない議員の増加にも問題はあるだろう。


末期の自民党政権においても辞任続きの農水大臣は鬼門になり、最後は絆創膏大臣などと揶揄され赤城徳彦大臣が辞任。政治家としてランクが上で将来が有望視されていた中川昭一財務大臣は酩酊記者会見で辞任に追い込まれ、そして死亡に至る。中川大臣の話は、本来ならば、同行していた財務省の事務方が会見をキャンセルすれば済んだ話である。腰痛もちで鎮痛剤をもちいることもある中川氏が酩酊状態に陥ることは知られていた話であり、 日本の恥を世界に晒すのではなく、そのような事態を防ぐことこそが事務方の仕事だろう。ところが当時の日本のメディアにそういった論調は見られなかった。


自民党内閣に対してでさえ、背後から刺すようなことを平気で行った霞ヶ関だ。政権交代が起こると容赦も遠慮もなかった。まずは、政権交代が決まった2009年8月の選挙後に農水省などの事務次官らが苦虫を噛み潰したような顔で行った記者会見を思い起こして欲しい。「民主党政権に協力していくと」わざわざ事務方のトップが僭越にも記者会見する国が先進民主主義国のどこにあるだろうか?まだ明治元勲の時代だと思っているのか?そして、その片棒を担ぐ大手メディア。これらの記者会見がいかに異常なものなのかを報道せず、さも普通のことであるかのように国民に刷り込んだ。自民党長期政権下で自民党の権力者に近づき、官僚制と和気合いあいやってきた記者クラブにとって、政権交代など最初からまっぴらだったのだ。しかも、情報の透明化、会見のオープン化、クロスオーナシップの見直しなどという民主党政権なんて息の根をとめたくてウズウズしていたのだ。




鳩山内閣の掲げたマニフェストに従い、こども手当てを策定、天下りを禁じた長妻厚労相に対しての厚労省と記者クラブの攻撃はすさまじかった。


私見だが、在日外国人の海外居住の子弟への子供手当ての支給は、さも民主党の失策のように新聞であげつらわれたが、あれは厚生省の仕込みだと考えるのが妥当だろう。厚生省も他省も、特別会計のように自分らの財布のようにちょろまかすことができるお金の流れは大歓迎なのだが、子供手当てのように一般財源からそのまま国民の懐にながれる給付に対しては徹底抗戦をしかける。つまり、厚生省的には、年金や雇用保険は特別会計にながれるので大歓迎だ。大抵の場合、法律の文言に被保険者の福利向上関連事業への支出を許すことが書かれており、これを盾にグリーンピアだの、自分らが天下る外郭団体への支払いに回す。子供手当てはそういう旨い汁がない。しかも、財源捻出のために民主党では事業仕分けをするといっていたわけで、美味しい事業を廃止される危険があった。さらに、年金保険のいいかげんさについても長妻大臣はうるさく、とにかく抹殺せねばならない存在だった。


このような背景があるので、私は厚生省による恣意的なサボタージュとして、外国人子弟への子供手当て問題・スキャンダルがあった、とみている。子供手当て担当の局長は長妻大臣とやりあい、当然のことながら、そのサボタージュゆえに左遷された。おそらく、この局長その上司らは、こども手当て法案にわざと問題点をもたせ、それを自民党にリーク。自民党は丸川珠代に華を持たせるために、彼女にネタを提供し、彼女が国会で長妻大臣を追及した、というのが真相だろう。


長妻大臣寄りの記事を書いたのは日刊ゲンダイのみ。朝日などは露骨に厚生省の応援記事を書き、長妻氏がまるで異常者のように書きたてた。


ところが、こんな官僚と記者クラブの嘘がまんまと通るのが日本なのである。菅内閣で長妻氏は実質的に格下げされた。総務大臣として改革しようとした原口大臣も同じ運命だ。


結果として、まんまと頭のない化け物も思う壺だった。他の大臣らは萎縮し、首相も官僚のいいなりになる。信じがたいことだが、あの仙谷氏も最初は改革をちょっとは志向していたらしい。が、権力の臭いを嗅ぎ、あっさりと政策を切る。官僚と記者クラブと仲よくしていれば権力者のように扱ってもらえるからだ。(仙谷氏の転向については、経産省の改革派として辛酸を舐めた古賀氏の『日本中枢の崩壊』に詳しい。)


改革派の鉢呂大臣のクビを切るくらい簡単な話なのだ。河野太郎氏のブログによれば、鉢呂氏は、かなり大胆な人事を構想していたらしい。官僚が嫌うのが人事をいじられることだ。さらにこの場合は、原子力ムラも総出で鉢呂切りを応援したことは想像にかたくない。


鉢呂氏の首をいとも簡単に差し出した野田という政治家も所詮、仙谷らと変わらないのであろう。それとも、前原のスキャンダルを抑えてもらうこととの見返りで改革派の鉢呂を切ったのか。


日本の問題は、このような顔の見えない官僚制と記者クラブそして東電のような政治的企業が裏で全てを牛耳っていることにある。何回も書いてきたが、さながら頭のない化け物に支配されているのが日本という国なのだ。

Saturday, September 10, 2011

日本の失われた民主主義へのモメンタム:なぜ日本人は変わったのか?

日本では忘れられたしまった記憶だが、戦後、日本人の多くが民主主義を信じていた時代があった。今日は、日本で何が変わってしまったのかを分析してみたい。

1954年に第5福竜丸の乗組員たちが操業中にビキニ環礁で行われていたアメリカの極秘の原水爆実験により被爆した。2週間の航海を経て日本に辿り着いた乗組員の健康状態は優れず、一人は一年を待たずとして命を落とした。この事件は報道され、国民の知るところとなり、被爆した乗組員への同情と原水爆実験で汚染された魚など食料汚染への恐怖などに日本中が慄いた。 

そして、日本人は立ち上がった。主婦たちが各地で始めた反核のための署名運動は大きなうねりとなった。3000万人の日本人が署名した。当時の成人人口の7割だ。



2011年3月12日の福島第一で爆発事故の後、あまりにも福島県民らの健康に無頓着で、政府の『風評被害』キャンペーンに見事に乗った最近の日本人と大違いだ。1954年の日本と今の日本、何が変わってしまったのか。

まずは、以下のドキュメンタリー『3000万の署名、大国を揺るがす ~第五福竜丸が伝えた核の恐怖~ 【そのとき歴史が動いた】』をみていただきたい。






ドキュメンタリーにでてくる女性たちの言葉の中で、非常に強烈に訴えてくるものがある。
一つ目は、ことの発端となった最初の投書だ。この主婦は「仕方ないといいながら何もしない夫の無力な­諦めを私は軽蔑した」と書いた。多くの男達は今も昔も、諦めが早かったようだ。これを大人のものわかり、と思い込んでいたのであろう。ところが、この投書の妻は、夫の「大人の常識」が「無力な諦め」であることを見ぬき、そして「軽蔑」した。当時の日本の男尊女卑で、女は三歩下がってという社会状況を考えると、この女性がいかに、「無力な諦め」を「自分はしない」と決意したかの思いが伝わってくる。

二つめは、名前を書くことにいったいどんな意味があるのか?と問われたとき­のある女性の返事。、「黙っているよりはるかに効果があります。沈黙­は賛成を意味するからです。」

ドキュメンタリーを見ると良くわかるが、当時のお母さんたちは、戦争と敗戦という辛苦を生き延び、やっと戻ってきた幸せを、今度は簡単に手放すまい、男たちにだ け任せては置けない、と立ちあがったのだ。戦前も戦中も、女の意見なんて誰も耳を貸さなかったし、女たち自身も声を上げてもいいとも思わなかった。ところ が、戦後の民主主義は女性たちにも選挙権・被選挙権を与え、その市民としての権利を行使しようとした戦後の母たちの姿には感動を覚える。戦後一回目の選挙で、女性たちが老いも若きも大挙して投票所に足を運び、初めての一票を投じた。市川房枝など女性の議員も誕生した。そして、この普通の女性たちは一票を投じるだけでなく、民主主義とは黙って諦めないことだ、と学んでいた。

 
反核運動の大きなうねりは単に女性たちの力だけでは実現しえなかった。第五福竜丸の被爆事件のあと、普通のお母さんたちが立ち上がるが、その時、実は新聞というメディアが大きな役割を果たしている。当時の日本でメディ アといえばテレビではなく、新聞であった。(テレビの普及は東京オリンピック以降である。この当時はまだ民放テレビもなかった。)
新聞の投書欄へのある主婦の投書が発端になり、署名活動が始まる。いわば、投書欄がソーシャル・メディアとして機能した好例だといえる。 フェイスブックやTwitterと違い、新聞社の担当者が投書を選別しているわけだが、このときの日本の新聞(多分朝日であろう)では、反核運動につなが る投書を排斥するような ことをしなかった。むしろ、新聞の後押しで、草の根の運動が沸き起こり、労働組合をも巻き込んでいく。

なぜ、日本人は変わったのか、という問いに戻ろう。

こ の当時の日本は、ちょうどアメリカによる占領も終わり、それによりメディアの検閲も終わった時期である。右派左派の社会党が合同して、その勢いが増さんと する時代だった。当時の日本では社会党が農民の動員にも成功し始め、20世紀後半の日本が保守独裁体制になるとは誰も考えもしていなかった。保守合同による自民党の誕生と、冷戦という文脈の中でアメリカが日本の保守政党に本格的に梃入れし始める前の話である。


皮肉なことに、第5福竜丸被爆事件で盛りあった市民運動はアメリカ政府にとっては頭痛のタネとなり、アメリカが対日世論工作を強化する理由となる。

もともと占領期には完全な情報統制が布かれていたために、一般の日本国民は広島・長崎の原爆の被害についても詳しくは知らないほどであった。ところが、ちょうどアメリカのトルーマン大統領が国連で核の平和利用(”Atoms for Peace”)を訴えた翌年に、第五福竜丸の被爆、日本での反核運動の大規模動員がおこる。Atoms for Peaceへのリンクはここをクリック。

核の平和利用つまり、原発の普及は、アメリカにとっては軍事的に必要な、冷戦上の大きなコマの一つであった。原発を西側で普及さえることを重要視していたアメリカにとって、日本への原発導入を不可能にするような国民の核エネルギーななんとしても排斥せねばならなかった。

アメリカの要請に答えるかのように、日本国内にも、原発支持派、世論工作賛成派が存在していた。読売新聞の社主であり、日本の原子力の父と呼ばれる正力松太郎がこの典型だ。彼は、アメリカ政府の日本の世論工作を担うことで経済的利益(初の民放テレビ局の設置)と政治的利益(日本国総理の座)を狙っていた。彼が如何にCIAと協力して、日本国内の世論工作に読売新聞と日本テレビを活用したかについては、既に色々と紹介されている。(有馬哲夫の『原発・正力・CIA』 など。)

ここで重要なのは、戦後に普及したテレビというものが世論形成のためのツールとして、最初から意識されて導入されたこと。そして、これが日本に特別なことではなく、アメリカ国内でもそうであったこと。冷戦の構図の中では、単なる商品宣伝のみならず、国民が社会主義に傾倒しないようにするという政治的ミッションを帯びたものであったことだ。  


実際、読売の正力による世論工作は功を奏し、1950年代に高まった反核運動をいとも簡単に乗り越えて、日本は原発の国へと転身していく。

この日本の転身は、単にテレビによってもたらされたのではない。会社レベルでの労組の懐柔と、アメリカによる日本の保守政党への本格的支援なくしては起こりえなかった。

先述したように1950年代は日本の左翼政党の躍進の時代だった。左派社会党と右派社会党が合同した際に、財界が非常な危機感を持ち、財界の大物らに促されて、保守合同が起こり、1955年の自民党結党へと展開する。冷戦という文脈において、日本が左傾化しないことは、アメリカにとって非常に大切なことであり、米政府と自民党は密接な関係を結びながら、政治から左翼を排斥していく。1960年の選挙で社会党が農村で票を伸ばすと、自民党は農業の合理化政策を翻して、米価操作による農家への所得保障をすることで農村票を買収していく。選挙のあり方にせよ、自民党に都合のよいようにしていくわけだが、保守政権存続のためであれば、アメリカ政府も問題視しなかった。

アメリカのようにあからさまな赤狩りは行われなかったが、日本では地位やお金での買収による「静かな赤狩り」が着々と進んでいった。企業組合の指導者が管理職に昇進するパターンなどは地位と金による買収の好例だ。

1960年代末から1970年代に入っては、公害問題を始め、経済発展の 歪み、自民党の利益誘導政治への反感から、革新自治体が誕生し始める。中央政府からの交付金に依存する自治体は簡単に御することができた保守勢力も、潤沢な税収のある都市部の自治体には手を焼いた。東京都での美濃部知事誕生に対して、保守派は非常な危機感を持ち、TOKYO作戦という革新自治体の撲滅キャンペーンを張った。これも簡単にウィキピディアから紹介しよう。(TOKYO作戦についてはここをクリック。)

1974年田中角栄内閣当時、革新自治体に不快感を抱いていた自治省が企画し、5年ほどかけて大規模な革新自治体を潰していく作戦。T.O.K.Y.Oとは、T=東京都(美濃部亮吉知事)、O=大阪府(黒田了一知事)、K=京都府(蜷川虎三知事)、Y=横浜市(飛鳥田一雄市長)、O=沖縄県屋良朝苗知事)の5革新自治体であり、最終目標はその頂点に位置する東京都知事のポストを保守陣営が奪還することにあった。この時期、オイルショックスタグフレーションにより国も地方も財政が逼迫していたが、自治省は革新自治体に対してのみ批判的なキャンペーンを多くのマスコミを動員して行った。とくにサンケイ新聞は記事の行間に「行革に反対する議員を落選させよう」などのスローガンを挿入するなど、革新自治体批判の記事の多さや激しさで際立ったが、批判の嚆矢は1975年1月22日の朝日新聞の社説「行き詰まった東京都の財政」で、都が放漫財政を行って人件費を乱費した上、福祉予算を膨張させたために都財政が逼迫したと批判したことにあるといわれる。結果的にこのアンチ革新自治体のキャンペーンは国民に浸透し、自治省が企んだ「T.O.K.Y.O作戦」は1979年東京都知事選挙において、元内閣官房副長官鈴木俊一が革新陣営が擁立した総評議長の太田薫らを破り、都知事の座を保守陣営が奪還したことにより結実した。



つまり、 日本では冷戦という名のもとに似非民主主義が蔓延った。これはやはり冷戦下で民主化したイタリアも日本と全く同じである。


冷戦が終わる1980年代後半にはすでに保守政治家、官僚と準公的産業の結びつきが日本をしっかり牛耳っていた。議会政治は根付く間もなく形骸化されてしまっていたし、大体抵抗できる野党自体存在しなかった。この支配層は冷戦が終わったからといって、その権益を守る政治制度を変革するつもりはさらさらなかった。

それどころか、デタントの時代であった1980年代に日本社会の保守化が深化した。 このとき、保守派はどういう戦略をとったのか?私は、朝日などの「左派」メディア幹部の買収と暴力により脅しだったと見ている。


まず、金による買収から見ていこう。『現代ビジネス』のオンライン版に「最大のタブー:東電マネーと朝日新聞」という8月22日付けの記事がある。これをみると、ちょうど1980年代前半あたりに、東電が甘い汁を餌に大物朝日OBを買収し始めたことがわかる。ちょうど官僚の天下りのように、朝日幹部OBだ吸える汁にしておくことで、現役幹部の行動を制する戦略だ。日本の大組織は、往々にして、個人的な仕事の資質とは関係なく、組織内政治に長けている人が幹部に昇進する。こういう人たちにとっては長いものに巻かれるのはお手のものだ。しかも、甘い汁つきとなれば尚更だ。

さらに、日本ではテレビと新聞がクロスオーナーシップ(株の相互所有により強い結びつき)により系列化しており、東電を始め大広告主の意向に敏感である。1980年代には、テレビの神様とも呼ばれた日本テレビの高木社長らが、テレビ広告の売り方を変革した。これにより、今ではお馴染みのテレビCM市場が活性化するとともに視聴率至上主義が蔓延りはじめる。政治的な帰結としては、報道としてのテレビの劣化のみならず、クロスオーナーシップの新聞にまで及ぶ広告主の意向の影響力の増大だった。その影響力の行使には電通が元締めとして活躍する。そして、電通は自民党・政府の選挙キャンペーンと広告を仕切る、いわば保守の宣伝塔司令室でもあった。こういった体制が、中道左派の朝日新聞にとってはかなり手ごわいものであったことは明白だ。


さらに、日本の場合は暴力もあった。驚くべきことに、1980年代には朝日新聞社への襲撃事件が相次いだ。ウィキピディアからの引用を紹介すると (朝日新聞社への襲撃事件をクリック):


朝日新聞東京本社襲撃事件

1987年1月24日午後9時頃、朝日新聞東京本社の二階窓ガラスに散弾が二発撃ち込まれた。
その後、「日本民族独立義勇軍 別動 赤報隊 一同」を名乗って犯行声明が出された。声明には、「われわれは日本国内外にうごめく反日分子を処刑するために結成された実行部隊である 一月二十四日の朝日新聞社への行動はその一歩である」として、「反日世論を育成してきたマスコミには厳罰を加えなければならない」とあった。

朝日新聞阪神支局襲撃事件 

1987年5月3日憲法記念日、午後8時15分、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局に、散弾銃を持った男が侵入。2階編集室にいた29歳記者と42歳記者に向け発砲。29歳記者が翌5月4日に死亡(殉職により記者のまま次長待遇昇格)、42歳記者は右手の小指と薬指を失う。
5月6日時事通信社共同通信社の両社に、「赤報隊 一同」を名乗る犯行声明が届く。1月の朝日新聞東京本社銃撃も明らかにし、「われわれは本気である。すべての朝日社員に死刑を言いわたす」「反日分子には極刑あるのみである」と殺意をむき出しにした犯行声明であった。

朝日新聞名古屋本社社員寮襲撃事件

1987年9月14日午後6時45分ごろ、名古屋市東区新出来にある朝日新聞名古屋本社の単身寮が銃撃された。無人の居間兼食堂と西隣のマンション外壁に一発ずつ発砲した。
その後、「反日朝日は五十年前にかえれ」と戦後の民主主義体制への敵意を示す犯行声明文が送りつけられた。

朝日新聞静岡支局爆破未遂事件

1988年3月11日、静岡市追手町の朝日新聞静岡支局の駐車場に、何者かが時限発火装置付きのピース缶爆弾を仕掛けた。翌日、紙袋に入った爆弾が発見され、この事件は未遂に終わった。
犯行声明では「日本を愛する同志は 朝日 毎日 東京などの反日マスコミをできる方法で処罰していこう」と朝日新聞社だけでなく毎日新聞社中日新聞東京本社(東京新聞)も標的にする旨が記されていた。しかし、実際に毎日・中日の2社を対象とした事件はなかった。


イタリアでも全く同じような事態が発生していた。冷戦にかこつけて、カトリック教会を基軸に築かれたイタリアの中央政権レベルでの保守独裁体制も80年代に冷戦の終わりという危機に見舞われた。日本と同じように、暴力により権益の死守戦が起こる。少なくともイタリアではConstitutional Crisis=法治国家として根幹の危機であるという正しい理解がなされたし、大規模な抗議運動も起こった。日本では、新聞に対してのあからさまな暴力による言論鎮圧に対して、国民は沈黙を保った。

つまり、昭和という時代の終わりは、日本の民主主義が完敗することで閉じたのだ。

平成へと暦が開け、ベルリンの壁も崩壊したが、日本の民主主義の芽は摘まれたままになった。冷戦の終わりを契機に、やはり日本の議会政治を正常化させねばならない、と考えて政治家は存在した。金丸信もその一人である。あまり、公になっていないが、昭和から平成に代わった時点で自民党の中で日本の民主主義を巡る政治的な攻防があったのだ。金丸は国会対策のドンとして、日本の議会政治の嘘を誰よりも良く知っていた人物だ。日本を共産主義から守るという大義名分のものに良しとしてきた悪しき慣習も、共産主義の脅威がなくなった今、一掃すべきだと金丸は考えるにいたる。

この結果、金丸は政治資金法違反と脱税容疑で2回逮捕され、失脚する。このとき、金丸宅に金の延べ棒が隠されていた云々と大きく報道されたが、私が個人的に当時の金丸番の記者をしていた人物に聞いたところによると、報道で書かれていた金丸邸の間取りと実際は違ったという。おそらく政府側のリークどおりに記事にしたために実際とは違った点がでてきてしまったのであろう。

金丸が当時応援していたのは、日本にも米国のC‐SPANのような国会テレビ中継チャンネルをつくることで、議会内での議論を活発化させようという試みだった。ちょうどケーブルテレビ法案を準備していた郵政省も乗り気だったが、日本に真の民主主義が誕生しては困る既得権益組みが潰しにかかる。田中良紹は、政治家でこの先鋒にたったのが中曽根康弘だったと、その著書『裏支配』に書いている。

この当時の改革派と守旧派の攻防は、日本政治の縮図だ。経産省内での電力自由化派と電力会社・原発推進派の攻防と構図がそっくりである。日本国民にとって、悲しいことに、改革派はいつも敗れる運命にある。これは、改革派の闘う相手が、頭のない化け物だからだ。

こうしてみていくと、大改革を掲げて政権交代を果たした民主党が敢え無く自民党化していっているのも、単に民主党のリーダー達の力不足とはいえないことを意味している。 戦後日本で育った頭のない化け物は、選挙や政権交代なんていう甘ちょろいことでは退治できないのである。それこそ、大物政治家、経済人、言論界が命をかけて闘わねばならない。その心意気のあり、力量のあるリーダーたちが果たして今日の日本に存在するのかどうかに全てがかかっている。

Tuesday, September 6, 2011

思考停止の日本というシステム

 冷戦が終わり20年以上経ち、原発の大事故という代償を払うことで、やっと日本という政府、いや多くの企業までも含んだ日本という仕組みが、如何にいい加減なものなのかが白眉のもとにさらされた。責任を取ることがなく、まるで頭部のない怪物のような官僚組織、企業組織が牛耳る日本という国。競争の激しい業界以外にある日本の企業は、官僚制の民間版さながらだ。東電にせよ、大手メディアにせよ、規制に守られ安穏としてきた、日本的化け物組織の典型だ。

80年代にカレル・ヴォン・ウォルフレン氏が、『日本権力構造の謎』で既に指摘したように、日本の権力にはコアがないのである。頭も顔もない化け物だ。


原発事故以降のあまりにも国民をないがしろにした化け物ぶりを解き明かす、三冊の近刊書がある。

まず、一冊目は、フリーのジャーナリストである上杉・鳥賀陽らが書いた『報道災害』。事故当時、アメリカから日本の事故の情報収集を海外メディアを通して行った私は、あまりに日本の新聞が福島第一の3号機がプルサーマルであることに触れなかったり、重要な事実をわざと関連づけず、単発的に報道するのを見て驚いた。もしかして、日本の大手新聞社の記者が第3号機がMOX燃料を使っているプルサーマルだということを知らない訳は無いだろうと新聞を検索すると、朝日も読売でも、3号機がプルサーマルとして稼働した日に大きく祝うような記事を出していたことがわかった。上杉らは、こういった思考停止の大手メディアにいじめ抜かれながら、取材し、政府の会見に出て、少しずつだが、政府・東電に情報を出させていく突破口をつくった。この辺の事実関係、個人的な犠牲などについて、良くまとまった好著だ。一言で言えば、日本には記者クラブを中心とした不思議な言論統制の制度が存在するということを明確にしめす本だ。ここでも面白いのは、背後に一人黒幕がいるわけではなく、記者クラブの担当者・受け持ちの社が変わっても、淡々と組織的な慣行が遵守されていく不気味さだ。まさに日本という頭のない怪物だ。

そして、2冊目が、経済産業省の改革派の官僚の古賀茂明氏の『日本中枢の崩壊』だ。古賀氏は自民党時代に公務員制度改革を担当した渡辺大臣のもとで、改革案つくりに尽力した人物だ。マニフェストでも公務員制度改革を掲げた民主党政権に希望をかけるも、民主党は早々に改革を放棄してしまう。これに反対する議員により、国会に参考人として呼び出され、そこで改革を訴えたことで、当時の官房長官の仙谷氏に恫喝され,新聞記事にもなった。

古賀氏の本をみると、日本の政策過程が、これまた頭も顔もない官僚制という怪物に食い尽くされているのがよくわかる。 そして、天下りの利権の為に、この怪物が、さらに東電を頂点とする民間の怪物企業群とスクラムを組んでいることが、解り易く書かれている。


この怪物が、改革をしそうな政治家を如何に手際よく始末していくかもわかり、ぞっとする。

第三冊めは、元米国国務省日本部長のケビン・メア氏の『決断できない日本』だ。
私は在米なので、まだ本書が手元に届いていないので、まだ自分で目を通すことができていないが、講談社の『現代ビジネス』がメア氏のインタビューを掲載している。このメア氏は、沖縄はゆすりの名人と言ったという嫌疑で、その職を解かれた人物だ。だが、東北大震災後の米国の東北支援の際に、日本とのコーディネーターを命じられた国務省きっての日本通だ。(夫人は日本人女性。)

インタビューの内容だけでも、日本という誰も責任を取らないシステムの問題が浮き彫りになっている。しかも、メア氏が、その立場上知り得た情報に基づいて指摘している事実は重い。インタビュー本文は http://gendai.ismedia.jp/articles/-/18122?page=3

重要なポイントは、 福島原発が如何に大きな危機であるのに、日本政府にその認識が欠如していたか、そして、これが民主党政権、菅政権の問題ではなく、彼が仕事で日本と関わった過去19年間に見てきたパターンそのものだ、ということだ。

インタビューには驚きの発言も含まれている。

一つ、アメリカ政府は福島原発事故を重大視し、東京在住の米国人9万人全員の避難を考えていたこと。(メア氏が日本でパニックを巻き起こすことを心配して、本国政府に思いとどまらせた。)

二つ、アメリカ政府の援助の申し出に対しての、日本政府の信じられないズレぶり。メア氏によると:

具体的な事例をひとつ示しましょう。原発事故の後、アメリカは日本側に「こうしたことなら支援ができますよ」という品目を連ねたリストを送りました。とこ ろが、日本からは「ヘリコプターを何台支援してほしい」という回答ではなく、「そのヘリコプターはどんな仕様なのか。もしも放射能で汚染されてしまった場 合は、どんな補償が必要になるのか」といった100項目にわたる「質問」が返ってきたのです。
三つ、アメリカ本国政府は駐米日本大使を呼び出して、原発事故の深刻さを伝えるが、そこで日本政府がとった対応が、ヘリコプターで水を撒くこと。これにはアメリカ側もあまりの無意味な対応に非常にショックを受けたらしい。

四つ、1985年に日本航空のジャンボ機が墜落した際に、米軍がすぐに救助を申し出たのを日本政府は断ったそうだ。メア氏は、米軍が救出に出動していたら、もっと多くの人が助かっただろうと振り返る。(注 この事故では、無事に救出された当時10ー12歳くらいの女の子が、墜落後にも父親と妹が生きていたことを証言している。身動きできず一夜を事故現場で明かしたあと、父親の返答がなくなったと語った。この痛ましい事実はメア氏のいうように救助が早くに到着していたら、生存者の数が増えていたと考えることの妥当性を裏付ける。)

日本国民はどうしたらいいのか?革命的といえるほどのうねりが生まれない限り、この頭のない化け物にゆっくりとしかし確実に喰らわれて死にいたるだろう。静かに食われて死ぬのを待つか、化け物に立ち向かうか。そこまで状況は切羽詰まっている。

Sunday, September 4, 2011

ロスト・イン・トランスレーション?毎日新聞の日本語版と英語版の記事の微妙な違い

9月3日の毎日新聞のオンラインの英語版の記事に、“PM's office failed to use data predicting Fukushima power loss, meltdowns”という ものがありました。和訳すると「電源消失・炉心溶解予測を官邸活用できず」というもの。読んでみると、原子力安全基盤機構が正しく炉心溶解を予見し、それを保安院が迅速に官邸に伝えたのに、官邸が何もしなかったのが悪いという意味の記事。

この記事の下には元々の日本語版の記事へのリンクがついていたので、リンクをクリックして日本語版を読んでびっくり。まず、日本語版のタイトルからして、ニュアンスがかなり違う。タイトルは「福島第1原発:炉心予測、官邸活用せず 保安院管理ずさん」。英語版のタイトルには保安院は出てこない。

しかも、中身も日本語版は官邸も失策だが、保安院自体に危機感がなく、きちんと官邸に状況の悪さを伝えきれてなかったのではないか、と思わせる内容なのだが、英語版だと書き方の違いと書き落とさせれている部分のせいで、保安院は責務を果たしたのに、単に官邸だけが悪かったように読める。

英語版を全部訳したりするのは面倒だが、面白い箇所だけ紹介しよう。


まず日本語版から:


同日午後10時45分ごろと12日午前0時過ぎ、危機管理センターに常駐していた保安院職員を通じ内閣府の職員に手 渡した。3号機については13日午前6時半ごろに届いたデータを同様の方法で約20分後に官邸に届けたという。

しかしこれらは周辺住民の避難指示などに活用されなかった。保安院の森山善範・原子力災害対策監は2日の会見で「事実に基づいたデータではないので活用を思い至らなかった」と釈明した。

これが英語版だと:


NISA handed the predictions to the Prime Minister's Office at around 10:45 p.m. on March 11 and again shortly after midnight. NISA sent the data on the No. 3 reactor to the Prime Minister's Office about 20 minutes after receiving it from JNES (the Japan Nuclear Energy Safety Organization) around 6:30 a.m. on March 13.
3月11日午後10時45分ごろと12日午前0時過ぎ、保安院は内閣府に予測を手 渡した。3号機についても、同様の方法で、原子力安全基盤機構から13日午前6時半ごろに届いたデータを約20分後に内閣府に届けたという。
However, the government did not use the data in its disaster response measures. Yoshinori Moriyama, NISA deputy director-general for nuclear accident measures, told a news conference on Sept. 2, "The data were not used because they were not based on facts."

しかし政府はこれらのデータを危機への対応のために使用しなかった。保安院の森山善範・原子力災害対策監は2日の会見で「事実に基づいたデータではないので使用しなかった」と述べた。
日本語だと、「資料を渡された内閣府の職員って誰? 緊急性についてはちゃんと連絡が伝わっていたのか?」など曖昧さが残っていたのに、英語版だといかにもきちんとデータを内閣府の中枢に届けました、という風に読める。

そして、保安院の森山氏の言葉は、日本語版だと、「炉心溶解するっていう確かな予測を事実に基づいてないから、対処しなかったって、じゃあ、貴方方、炉心溶解して事実となるまで待ってたの?いい加減だなあ、保安院は」と読める。森山氏が釈明した、という動詞を使っているので、読み手としても、「何か後ろめたいことがわるのな」と受け取る。が、英語版はトーンダウンして、さらっと、森山氏が「述べた」事を書いているので、そういう後ろめたさは感じない。


結論としては、保安院も内閣府もいい加減だったということだろうけれど、英語と日本語の差なのか、それとも書き手のちょっとしたニュアンスなのか、報道の曖昧さを実感する一件でした。

下記に、英語版と日本語版のリンクを貼っておきます。
Below are the full texts of the English and Japanese versions of the article.

PM's office failed to use data predicting Fukushima power loss, meltdowns
(Mainichi Japan) September 3, 2011

In the hours after the March 11 earthquake and tsunami, the Prime Minister's Office failed to take advantage of up-to-date analysis of the Fukushima No. 1 nuclear plant that projected both power failures and subsequent core meltdowns, according to the Nuclear and Industrial Safety Agency (NISA).
NISA released the results of analysis on the Fukushima nuclear reactors using the Emergency Report Support System (ERSS) on Sept. 2 -- about six months after the analysis was conducted right after the magnitude-9 earthquake struck. The analysis predicted the loss of power and subsequent nuclear meltdowns at the No. 1, 2 and 3 reactors at the plant before they occurred.
NISA sent the analysis on the No. 2 and 3 reactors to the Prime Minister's Office, but the office did not use the information either to help plot containment measures or to initiate a swift evacuation of local communities. The agency did not send the results of the No. 1 reactor analysis.
According to NISA, the Japan Nuclear Energy Safety Organization (JNES), which developed the ERSS, activated the system just after the quake. Based on the assumption of a complete loss of power at the plant, JNES predicted how the water levels, pressure and temperatures would change at the No. 1, 2 and 3 reactors.
The JNES sent the data on the No. 2 reactor to NISA around 9:30 p.m. on March 11. Based on the data, NISA officials projected a chain of events remarkably true to those that were to unfold at the plant, such as, "At 22:50, reactor cores will be exposed; At 24:50, fuel meltdown." NISA handed the predictions to the Prime Minister's Office at around 10:45 p.m. on March 11 and again shortly after midnight. NISA sent the data on the No. 3 reactor to the Prime Minister's Office about 20 minutes after receiving it from JNES around 6:30 a.m. on March 13.
However, the government did not use the data in its disaster response measures. Yoshinori Moriyama, NISA deputy director-general for nuclear accident measures, told a news conference on Sept. 2, "The data were not used because they were not based on facts."
Based on assumed amounts of radioactive substances inferred from the predictions for the No. 1 reactor, NISA also projected the diffusion of nuclear substances using a system known as SPEEDI, or the System for Prediction of Environmental Emergency Dose Information. The agency did not, however, release the predictions immediately, and were in the end not used at all. NISA had previously said that SPEEDI was not functioning after the quake because of a complete loss of power.


福島第1原発:炉心予測、官邸活用せず 保安院管理ずさん
201192 2153

Saturday, September 3, 2011

Mainichi Daily Lost in Translation? Who Failed? Prime Minister's Office or the Nuclear Safety Agency?

I came across an English-language article from Mainichi Shimbun when I was checking my twitter account. Just out of curiosity, I clicked the link. The article was about the failure of the Japanese Prime Minister’s office to take any action based on the prediction of meltdowns. I then also clicked the link to the original article in Japanese.  To my surprise, the connotations in the two articles were quite different. Is this just a case of Lost in Translation?  In any case, I found the discrepancies interesting enough that decided to share my observation.

The difference in the titles summarizes the difference in the nuances of the two versions. 

The title for the English version is “PM's office failed to use data predicting Fukushima power loss, meltdowns.”  It clearly suggests that it was the Prime Minister’s office, which failed to use the available data to protect Fukushima residents.

The title of the original Japanese version, however, is different.福島第1原発:炉心予測、官邸活用せず 保安院管理ずさん” can be translated as “PM’s office did not act on the prediction of meltdown in Fukushima Daiichi due to the NISA’s poor data handling.” (NISA stands for the Nuclear and Industrial Safety Agency.)  The Japanese language article blames the NISA more strongly for its failure to alert the Prime Minister’s Office more explicitly.

I’m too lazy to translate the whole of the Japanese original article, but let me compare the most important sections of the two articles. 

The English-language version goes as following:

NISA handed the predictions to the Prime Minister's Office at around 10:45 p.m. on March 11 and again shortly after midnight. NISA sent the data on the No. 3 reactor to the Prime Minister's Office about 20 minutes after receiving it from JNES (the Japan Nuclear Energy Safety Organization) around 6:30 a.m. on March 13.

However, the government did not use the data in its disaster response measures. Yoshinori Moriyama, NISA deputy director-general for nuclear accident measures, told a news conference on Sept. 2, "The data were not used because they were not based on facts."

The Japanese original version says:
同日午後10時45分ごろと12日午前0時過ぎ、危機管理センターに常駐していた保安院職員を通じ内閣府の職員に手 渡した。3号機については13日午前6時半ごろに届いたデータを同様の方法で約20分後に官邸に届けたという。
A NISA personnel stationed in the Crisis Management Center(Nuclear Safety Agency) handed the predictions to a staffer from the Prime Minister's Office at around 10:45 p.m. on March 11 and again shortly after midnight. It is reported that NISA used the same method to deliver the data on the No. 3 reactor (to the PM’s Office) about 20 minutes after receiving it (from JNES) around 6:30 a.m. on March 13.

しかしこれらは周辺住民の避難指示などに活用されなかった。保安院の森山善範・原子力災害対策監は2日の会見で「事実に基づいたデータではないので活用を思い至らなかった」と釈明した。
However, the data were not used to evacuate residents near the nuclear power plant. Yoshinori Moriyama, NISA deputy director-general for nuclear accident measures, justified their actions at a news conference on Sept. 2, "the (prediction) data were not based on facts, so it did not occur to us to take any action based on them."  

NOTE: The Japanese article does not say 'Moriyama told a news conference but uses a more value-laden expression 'Moriyama justified their actions.'  This makes a Japanese reader think that NISA had done something wrong prompting Moriyama to justify their actions. 


So what's the conclusion?  Small differences in expressions can lead to very different interpretations.  As consumers of news, we need to be aware of this.  That said, my take is that no one in the Japanese government cared about the safety of the residents.

Below are the full texts of the English and Japanese versions of the article.

PM's office failed to use data predicting Fukushima power loss, meltdowns
(Mainichi Japan) September 3, 2011

In the hours after the March 11 earthquake and tsunami, the Prime Minister's Office failed to take advantage of up-to-date analysis of the Fukushima No. 1 nuclear plant that projected both power failures and subsequent core meltdowns, according to the Nuclear and Industrial Safety Agency (NISA).
NISA released the results of analysis on the Fukushima nuclear reactors using the Emergency Report Support System (ERSS) on Sept. 2 -- about six months after the analysis was conducted right after the magnitude-9 earthquake struck. The analysis predicted the loss of power and subsequent nuclear meltdowns at the No. 1, 2 and 3 reactors at the plant before they occurred.
NISA sent the analysis on the No. 2 and 3 reactors to the Prime Minister's Office, but the office did not use the information either to help plot containment measures or to initiate a swift evacuation of local communities. The agency did not send the results of the No. 1 reactor analysis.
According to NISA, the Japan Nuclear Energy Safety Organization (JNES), which developed the ERSS, activated the system just after the quake. Based on the assumption of a complete loss of power at the plant, JNES predicted how the water levels, pressure and temperatures would change at the No. 1, 2 and 3 reactors.
The JNES sent the data on the No. 2 reactor to NISA around 9:30 p.m. on March 11. Based on the data, NISA officials projected a chain of events remarkably true to those that were to unfold at the plant, such as, "At 22:50, reactor cores will be exposed; At 24:50, fuel meltdown." NISA handed the predictions to the Prime Minister's Office at around 10:45 p.m. on March 11 and again shortly after midnight. NISA sent the data on the No. 3 reactor to the Prime Minister's Office about 20 minutes after receiving it from JNES around 6:30 a.m. on March 13.
However, the government did not use the data in its disaster response measures. Yoshinori Moriyama, NISA deputy director-general for nuclear accident measures, told a news conference on Sept. 2, "The data were not used because they were not based on facts."
Based on assumed amounts of radioactive substances inferred from the predictions for the No. 1 reactor, NISA also projected the diffusion of nuclear substances using a system known as SPEEDI, or the System for Prediction of Environmental Emergency Dose Information. The agency did not, however, release the predictions immediately, and were in the end not used at all. NISA had previously said that SPEEDI was not functioning after the quake because of a complete loss of power.


福島第1原発:炉心予測、官邸活用せず 保安院管理ずさん
201192 2153
http://mainichi.jp/select/today/news/20110903k0000m040137000c.html
 経済産業省原子力安全・保安院は2日、東日本大震災当日、東京電力福島第1原発1~3号機で全電源喪失などを想定し炉心溶融などを予測した「緊急 時対策支援システム(ERSS)」の解析結果を、約半年たって公表した。2、3号機の予測は官邸に送信したが活用されず、1号機は送信もしていなかった。 保安院の情報管理のずさんさが問われそうだ。
 保安院によるとERSSを開発した原子力安全基盤機構(JNES)は3月11日、保安院の依頼でERSSを起動。同原発で全電源が断たれた事態を想定したパターンを使い、1~3号機の原子炉内の水位や圧力、温度が今後どう推移するかの予測結果を出した。
 2号機のデータは11日午後9時半ごろ、JNESから保安院に届いた。保安院の職員はデータを基に「22時50分 炉心露出 24時50分 燃料 溶融」など予想される展開を文章にし、同日午後10時45分ごろと12日午前0時過ぎ、危機管理センターに常駐していた保安院職員を通じ内閣府の職員に手 渡した。3号機については13日午前6時半ごろに届いたデータを同様の方法で約20分後に官邸に届けたという。しかしこれらは周辺住民の避難指示などに活用されなかった。保安院の森山善範・原子力災害対策監は2日の会見で「事実に基づいたデータではないので活用を思い至らなかった」と釈明した。
 また、保安院は1号機の予測から導いた放射性物質の推定放出量を基に「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」で拡散予 測を実施していた。しかしすぐには公表せず、避難指示などにも活用しなかった。保安院はこれまで「全電源喪失でSPEEDIが機能しなかった」と説明して いた。【久野華代】
 【ことば】緊急時対策支援システム(ERSS)
 原発事故の際、原子炉内の温度や圧力、水位などを即時に入手し、それに基づいて事態の進展や放射性物質の放出量を予測するために保安院が導入した コンピューターシステム。事故時、電力会社から集めた運転情報や放射線計測値などを収集し、さまざまな事故のパターンをデータベースから選んで計算する。 炉の状況や予測結果は、経済産業省などオンラインで結ばれた場所で閲覧できる。

関西電力の申告漏れ記事で気になる点

毎日新聞 2011年9月2日 東京夕刊に「申告漏れ:関電が5年で45億円--大阪国税局指摘」
が出ていた。内容は以下の引用通り:

関西電力(大阪市北区)が大阪国税局の税務調査を受け、10年3月期までの5年間で計約45億円の申告漏れを指摘されていたことが分かった。過少申告加算税を含めて数億円を追徴課税(更正処分)され、既に納税した模様だ。
関係者によると、同社は原子力発電所の関連工事で排出した金属くずを地元業者に売却した際、実勢価格より安く売却したと国税局から指摘を受けたと いう。実際との差額約11億円が経費ではなく、交際費と判断された模様だ。また、子会社などに支出した20億円余りも寄付金などと指摘されたとみられる。

勘ぐるわけではないが、なぜ地元業者に実勢価格よりも安く売る必要があったのか?英字新聞のJapanTimesが、共同通信の発信をもとに9月3日付けで記事にしていたが、もう少し内容は詳しかった。関電の言い分だと、入札により売却したということだが、実勢価格よりかなり低い値での入札はどうも不自然だ。適正な入札プロセスだったのか?売却先の地元企業はどこだったのか?「合法的に」特定の人物・団体への何らかの見返りのための支払いだったのではないか?この地元企業とはどういう企業なのか?九電が玄海町長のファミリー企業に仕事を発注していたのと似たようなことが隠されているではないか?もしも実勢価格と売却価格の差額が暴力団や政治家に流れているとしたら大問題ではないのか?

ジャーナリストだったら、調べてみる必要のある問題なのではないか?電力会社は地域独占という非常に特殊な業種であり、利用者である一般国民に対しても非対称的な力をもつ。このために、本来ならばメディアが監視すべき業種であるが、いくらでも国民から搾取できる立場をいいことにメディアにもカネをばらまき、好き勝手しているのが電力業界だ。

Bizarre Actions of Kansai Electric Power Company (Kepco)

Tax authorities have determined that Kepco underreported income by around ¥4.5 billion over five years through March last year.


What attracted my attention is not the sum of the underreported income, but Kepco's bizarre actions. .  

Let me quote the relevant section of the Japan Times article:.
  
The bureau said Kansai Electric sold scrap metal left over from engineering work in Fukui Prefecture for a price at least ¥1 billion lower than going rates. The utility said it sold the scrap metal to the highest bidder after studying market prices.  But the bureau concluded that the difference between the sales price and market rates can't be counted as expenses. It also reclassified around ¥3 billion in payments the utility made to subsidiaries as donations, which are taxable.
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/nb20110903a4.html


Why do I find this to be bizarre?  

Japan's electric power companies are extremely political entities.  Their political power  has been the source of their profit. The government protects their regional monopolies while allowing them to charge their captive consumers handsomely. By law, power companies are allowed to set utility prices on the basis of their costs plus profits they decide to make!  The pricing structure thus creates no incentive for power companies to be innovative. Surely they could afford to sell their scrap metal cheaply or "donate" money to their subsidiaries or whomever they choose to give to.  Whatever they give away, they can get back from their customers. 

The interesting point is WHY Kepco decided to "enrich" the buyer of its scrap metal by selling well below the market price.  (Kepco says that it sold to the highest bidder, which raises a further question if the whole bidding system might have been rigged.)
It makes more sense to interpret this sale as a political deal.  They must have used this scrap metal deal as a way of "legally" paying off someone.  If I were an investigative reporter, I would look into who owns the company that bought the scrap metal from Kepco.  Is it a Yakuza-owned company? Or is it a company related to a politician?  The Japanese Times article merely reprints the press agency reports.  Similarly, Mainichi Shimbun (a Japanese language daily) just reports what the tax authorities and Kepco have officially stated. This is very typical of Japanese mainstream media: they merely print what the authorities say or what press agency reports.  Japanese journalists often know much more than they let on; but choose to keep the public in the dark..  Two things encourage this type of behavior: money and violence.

The vicious circle or money, violence and silence emboldens the likes of Kepco, Tepco and Yakuzas in Japanese society.  And for those who benefit from silence, Japan's power companies are hens that lay golden eggs.  Thus the horrible saga just goes on and on in Japan.