Thursday, October 20, 2011

日本の病理:日経新聞も日本生命もオリンパスと変わらない

今回のオリンパスの不明瞭な買収劇は世界的に注目を浴びるような事件に発展しつつある。10月20日米国東部時間午前10:17のロイターの配信によると、オリンパス前社長のウッドフォード氏は新たな事実関係を掴み、それを英国のSFO(Serious Fraud Office 国際的犯罪などを担当する重大不正捜査局)に提出。SFOは、ウッドフォード氏に身辺警護の必要などについて警察に問い合わせるよう勧め、前社長は警察に相談中とのこと。警察の保護が必要になっているということは、「反社会的組織」の関連を裏付けるような情報があるということであろう。日本では株主総会といえば総会屋の活躍の場であったが、総会屋の締め出しが厳しくなるとともに、手口が変わっていったことと今回の買収劇にも関連があるのかもしれない。

ウッドフォード氏出身の英国ではファイナンシャルタイムズ紙が積極的に報道しているのみならず、テレビのチャンネル4のジョン・スノーのニュース番組にも前社長が登場して、インタビューを受けるなど、大きく報道されている。米国でもウォールストリート紙といったビジネス紙そして一般紙のニューヨークタイムズ紙も大きく取り上げている。日本の一企業ということを超え、日本のコーポレートガバナンスの問題として取り上げられている。日本の大企業全体の信頼に関わる問題に進展しかねない。

英国のチャンネル4でウッドフォード氏がはっきり言明した一点は重要だ。彼は「私は日本が大好きだ。日本人の多くなまともな不正を行わない人たちなんです。だからこそ、私は取締役たちの言動に大きな戸惑いを感じるのです。日本には沢山の美徳があるけれど、西洋的なのも(透明性という意味)を少し取り入れることで日本自体も得るものが非常に多いのではないかと思う」と。良心のある日本人らがこれを肝に銘じて、闘う必要があるのではないか?ちょっと考えれば、透明性が西洋的なもの、なんていわれること自体が恥ずかしいことではないか。

透明性を妨げるものは、「日本人」でも「日本の誤った美徳」でもなく、情報や権力を握る一部の日本人の「私欲」以外の何ものでもない。これを「日本の組織風土」などといって、大衆を洗脳してきたのだから許しがたい。 今日のブログではこの洗脳の先頭に立ってきた日本のメディア、そして、能力のない経営陣に甘い大株主としての生命保険に焦点をあてたい。特に今回のオリンパス騒動に関しては、日経がもっとも関係ありそうなので日経に焦点をあてるが、オリンパスや東電が「日本の病理」の象徴の一つにすぎないように、また日経も「病理」の一つにすぎない。朝日や読売もまったくしかりだ。

そもそも今回のオリンパスの不明瞭なカネの流れを指摘したのは月刊誌FACTAの8月号だ。しかもFACTAは、6月にオリンパスにも公開質問状を出したり、積極的に問題を顕在化させようとしてきた。ここで非常に大切なポイントは、FACTAの発行人の阿部重夫氏もスクープを抜いた山口氏も両氏とも元日経新聞の記者だという点だ。山口氏は日本公社債研究所(現格付投資情報センター)アナリスト、日本経済新聞証券部記者を経た株式関連のプロのジャーナリストだ。

ここで浮かぶ疑問点は三つ。一つ目は、なぜ現役の日経新聞記者らにはスクープ記事どころか後追い記事さえも書くことができなかったのか?二つ目は、なぜ、日本の証券アナリスト達は山口氏のようにオリンパスの買収の不自然さを指摘しなかったのか?三つ目は、なぜ、日本生命のような大口株主が大きな損失を出した買収に疑義を挟まないどころか、FACTAのスクープ以降も何も言わなかったのか。

日経新聞とオリンパスの関係
10月19日つけのFACTAオンラインは(リンク)、日経がオリンパスの菊川会長をかばっている節があることに言及している。
フィナンシャルタイムズ(FT)やウォールストリート・ジャーナル(WSJ)、ニューヨークタイムズなどで、菊川会長らの嘘が暴かれ始めた。前社長 に企業不正を暴かれそうになって、解任の強硬手段に踏み切ったというのが真相だと。自力で調べる気のない日本のメディアまでそれを引用しだしたから、オリ ンパスの株価は炎上した。
形勢不利とみた菊川氏は、頼みの綱の日経にすがる。18日夕刊の「海外買収の手数料、適正」という菊川氏の反論記事を独占掲載したのがそれだ。虫唾が走るような「御用新聞」根性ではないか。まさか、10月24~25日に開く日経フォーラム世界経営者会議に菊川氏が講師として出席するので、かばおうとしているなんてことがあるとは思いたくない。
 オリンパスの社外取締役の来間(くるま)紘氏の経歴であるが、彼は慶応大学卒業後、日経新聞に入社、専務取締役まで上り詰め、そのご日経BPの副社長を務めたのち、系列の愛知テレビの社長を務め、今年の6月末にオリンパスの社外取締役に就任している。2007年の愛知テレビ社長就任の際に、日経新聞の顧問に任命されている。

相次ぐ企業買収の失策で損失がでているオリンパスがメディア対策として日経の大物OBを受け入れたと見られてもいたし方ないだろう。実際、日経における今回の社長解任のニュース、そしてそれ以降の記事を見ても、真剣に取材をしているとは見受けられない。日経の10月20日の「オリンパス解任騒動、海外メディアが相次ぎ続報」という記事見出しには失笑した。

日本生命の不作為

金融ビッグバンで生命保険業への新規参入が起こったが、歴史的に日本の生命保険会社は日本のコーポレートガバナンスを曖昧なものにする一役を買ってきた。今回の日本生命が良い例だ。日本生命がそうであるが、もともと生命保険会社は株式会社ではなく、相互会社、つまり契約者が主の会社形態をとっている。しかしながら、契約者には顧客としての意識しかなく、株主総会に匹敵する会合には社員が出席してきたといわれている。

金融ビッグバン以前は新規参入もなく、生命保険のビッグ2の第一生命と日本生命は、世界的にも巨大な生命保険会社として、多くの大企業の筆頭株主を務めてきた。株主ではあるが、それと交換に、大企業の社員を生命保険の顧客として抱え込むことが事実上許されていたために、持ちつ持たれつの関係ができていた。大企業に勤めた経験のある人ならばわかるだろうが、生命保険のおばちゃんが自由に職場に出入りしていたのはそのためだ。

つまり、持ち主が持ち主意識を持たず、経営陣への監視が全くなかったのが日本の生保なのだ。そのような特異な組織がこれまた日本の大企業の筆頭株主であるのだから、まともなコーポレートガバナンスなど無理な話なのだ。

今回、日本生命は筆頭株主でありながら、全くオリンパスの業績に関しても、社長解任についても無頓着であった。大騒ぎになり、やっと重い腰を上げたように見えるが真剣でないことは明らかだ、。外国人株主らが東証に対して、追加情報開示を要求する書面を出したにも関わらず、日本生命は単にオリンパスに対して「十分な説明」を求めただけである。ブルーンバーグが詳しい。リンクはここ

昔、『Noといえる日本』などという本があったが、今、日本が必要としているのは『Noといえる国民』だと考える。東電やオリンパス、いい加減な新聞社や金融機関にNOというべきではないか?