Thursday, October 6, 2011

ウォール街占拠運動の背景:大きな不平等という事実と政治的平等という理想の狭間にゆれるアメリカ


米国内のムードは明らかに変化しつつある、と云いたいところだが、そうではない。国民のムードはとっくの昔に変わっており、それゆえにバラク・オバマが大統領に選ばれたといえる。それを忘れたのが、大統領、そのスタッフ、議会、ウォール街、そしてメディアだといえよう。少し前に繰り広げられた議会と大統領の財政削減を巡る政局も国民全く不在だった。

この間のアメリカの政治報道を見ると、いかにも草の根の運動はティーパーティ運動のみであり、アメリカ国民が望ろんhむは減税であるかのような論調も多かったが、これはとんでもない誤報だ。どの世論調査を見ても、国民の絶対多数は「富裕層への課税強化」と政府のムダの削減を求めている。

ここに来て業を煮やした左派の国民が立ち上がったのが全国に飛び火しているウォール街占拠運動だ。

ウォール街で始まったこの運動は、大都市に飛び火しただけではない。小さな地方都市でも賛同者たちが類似の抗議を開始しはじめている。全国各地の広場が抗議運動により占拠された今年の春以降のスペインのような雰囲気だ。

下に貼ったリンクはニューヨーク州中部の寂れた街で3日前に始まった「占拠運動」についてのテレビ・ニュースだ。

普通の「ちっぽけ」な市民が怒りもぶちまける。手書きのダンボールには「ウォール街こそ大量殺戮兵器だ」と書いてある。このニュースにでてくるシラキュースの2人で始めた抗議運動だが、三日経って、参加者人数は増えてきた。留意するべきは、こういった人たちが単にウォール街に怒るだけでなく、各地其々で地元の「不公平」「社会正義の侵害」についても怒っていることである。



国民には小さな怒り・大きな怒りがあり、彼らは普通の市民の声に耳を向けない政治家らに辟易している。自分達の生活が悪化する一方で、納めた税金は、他人の金でギャンブルしたウォール街の億万長者らの尻拭い、そして長引くイラク・アフガニスタンでの戦費に消えていった。金融危機を引き起こした張本人であるウォール街が納税者により救済されたにも関わらず、いまだもって誰も責任を取らずに性懲りもなく法外な報酬を受けていることに対して国民は本気で怒っている。

社会的なセイフティネットも整備されず、医療保険でさえ雇用を通して確保せねばならない米国では、雇用環境の悪化のシワ寄せは国民に大きな犠牲をもたらしている。大学卒業していなければ就職に不利であると、一年間に何百万もかか授業料と寮費を借金して卒業しても勤め口はなかなかない。いい仕事がなければ医療保険にも入れない。医者にかかるにも保険も現金もなく、自分の労働を提供するしかない若者の話なども報道されている。


一方で、自分の責任は自分でとる、ルールは守る、守らない人には罰則がある、というアメリカ社会の鉄則が通用しない社会階層の存在に国民皆が気がついてしまったのだ。


これにより、資本主義を民主的なものだと説明することで成り立っていたアメリカの政治方程式に疑惑をもつ国民が増えてきた。マンハッタンでのウォール街占拠運動の声明をみても民主主義と資本主義の葛藤が読み取れる。内容はここをクリック


イデオロギー的な側面での差異こそあれ、ティーパーティ運動もウォール街占拠運動も、その根底には、不平等の拡大と経済力により歪められた政治への不信がある。実際、過去20年間の米国における富の集中化には目を見張る。


まず、最初の図を見て欲しい。この図では所得階層上位10%と1%の所得が総所得に占める割合の歴史的変遷を示している。第2次世界大戦と戦後の経済成長が平等化の時期に重なり、80年代から、「歴史が逆行」しだすのが良くお分かりいただけるだろう。




つぎの図はアメリカにおける労働分配率の歴史的推移を表したものだが、やはり80年代に大きな変化があったことがわかる。



どうしてこのように激しい不平等の拡大が起こったのか。これには諸説あるが、ロバート・フランクらの共著『勝者が全てを得る社会』が論じたように、技術革新 により報酬の上限が引き上げられたことなども考えられよう。しかし、政治学者のジェイコブ・ハッカーとポール・ピアソンらは1978年のキャピタルゲイン減税導入以降に起こった大きな政治の地殻変動に注目する。70年代後半から資本家らは労働組合の勢力を殺ぐべく、政治戦略をかえる。首都のワシントンにロビイストを抱える企業数も1971175社から、1982年には2500社へと10倍以上に増えたし、労働組合の強い北東部から労働組合のない南部へと製造業が移動し始めるのもこの頃だ。

レーガン政権下で財界よりの共和党の集金力は増強されていった。これに対して、民主党は対抗勢力を組織するのではなく、財界に擦り寄っていった。民主党のクリントン政権はまさにウォール街寄りの政権であった。のちに問題になるヘッジファンドやデリバティブを規制しない、と決めたのはクリントン政権だった。クリントン夫妻の愛娘の就職先もヘッジファンドだったことは象徴的だ。

議会の重鎮がカネで買収されているだけでなく、クリントン・ブッシュ両政権では財務省そのものが金融界の代弁者となり、金融関係の委員会の有力議員らはもちろん、規制官庁もウォール街寄りの政策を志向するようになり、結果としての政府による規制の不備が、金融危機の原因となっていく。

変化を約束したはずのオバマ政権になっても何も変わらなかった。金融危機後、過去の政治と規制の欠陥が一般国民にも明白になったにも関わらず、全く軌道修正は行われなかった。それどころか、クリントン政権下での金融規制政策の大失敗の戦犯とも云える元サマーズ財務長官がオバマ政権の経済政策の指南役となった。(サマーズ自身は財務長官あるいは連銀総裁になるつもりだったようだが、前任のルービン長官のもとで補佐をしていた時期、そして自分が財務長官だった時期などに、議会に参考人で呼ばれた際に散々極端な市場擁護論を展開しており、金融危機後に発足したオバマ政権では任命に上院の承諾が必要な政府のポストにはつけることが不可能だった。)

日本の政治もカネのかかる制度だが(昔の中選挙区、政党助成金制度導入前はさらに)、アメリカの政治にかかる金額は法外だ。この為に、いくら改革を唄うオバマ氏も結局のところ、大口の献金をしてくれる金持ち層にはどうしても甘くならざるを得ない。今、アメリカで問題になってきているのは、まさに経済力の集中と民主主義というのは共存できないのではないか、ということなのである。

皮肉なのは大統領候補としてのオバマ氏がこの経済力の不平等と民主主義の相反性について最も雄弁に言及していたという点だ。この辺についてはオバマ政権内部の事情を書いたロン・サスキンドの近著が詳しい。この辺についてもまた現在進行形の抗議運動との関係で来週あたりにでもまた紹介したい。