Wednesday, August 31, 2011

日本を救うには即急の制度改正しかない

野田政権が民主党が国民に約束した改革をできるのだろうか?挙党体制って政策的にはどういうことを意味するのか?
小選挙区制議会民主主義は理念と政治力のあるリーダーがいなくては機能しない。ところが、現行の日本の制度状況では理念のあるリーダーはむしろ潰され易くなってしまっている。このままでは日本は確実に再起不能になる。

ここでは簡単に問題の所在を指摘し、改革の方向性を考えてみたい。
現行制度の問題点:
(1)日本の頻繁な選挙、小選挙区比例代表並立制の意図せざる帰結としてのメディアの力の増大 
ここ数年やたら新聞やテレビが世論調査を盾に首相を糾弾するようになったことに気がついている人も多いのではないか。自民党総裁選や民主党の代表選が始まる前からメディアベースでの(またこれも世論調査を盾とした)人気者ランキングが騒がれる風潮も強くなった。
日本が1994年に導入した小選挙区・比例代表並立制に原因がある。 
小選挙区制度になって、大政党の党の顔はかつてないほど重要になった。なぜなら、勝った党のリーダーが首相になるので、有権者は小選挙区での候補の好き嫌いとは別に誰を首相にしたいかをも考慮するようになった。しかも、人気のある党首は比例区での得票率を底上げし、小選挙区で敗れた自党候補を比例区で復活させることもできる(多くの小選挙区候補は比例名簿の重複候補だ)。
つまり、党首のイメージが有権者にとって大切になっただけでなく、政治家にとっても大切になった。
ところが意図されない大問題が生じた。党首のイメージが大切になったことで、メディアによる政局操作がされやすくなってしまったのだ。「小泉劇場」は首相がメディアを巧く使った典型だが、人気の上下で首相がクルクル変わることにもつながる。
 メディアが「首相は人気がない」と騒ぐと、次の選挙が心配な党内の議員が新しい人気のある党首を求めだし、首相の急進力が急低下する。ここでの大問題なのが、国際的にみても非常に頻繁におこなわれる日本の選挙だ。
日本はイギリスの議会政治を真似て近年制度改革をしてきたが、決定的に違うのは選挙の頻度だ。イギリスでは国政選挙は頻繁でないし、党首選も頻繁でない。ところが、日本では、4年以内に必ずある衆議院選、3年毎にある参議院選、プラス自民では3年毎、民主では2年毎に党首選がある。2年に一度、ひどいときは毎年なんらかの選挙をすることになる。
つまり、首相が短期的に痛みがあるが長期的に必要な改革、あるいは強力な既得権益に切り込むような政策が行いにくい。しかも、既得権益がメディアにも及ぶ場合は、メディアのバッシングを覚悟せねばならぬ。メディアは首相の「不人気」を煽ることで、政権党の議員たちを震え上がらせ、「人気のある党首」選びへの奔走させることができる。
 こうしてメディアの威力は中選挙区時代とは比べ物にならないほど増大した。
(注:アメリカも選挙が頻繁な国だ。この為に下院議員には政策に専念する時間がないし、大統領もいつも2年スパンでものを考える。) 
(2)日本の大手メディアの性質
日本の大手新聞が他の先進諸国のクオリティー・ペーパーを呼ばれる、高等教育を受けた有権者層を読者とし、政治・経済・社会問題を掘り下げ、分析する新聞であるならば、政策的な論争にも寄与しえた。ところが、日本の大手新聞は、イギリス、アメリカ、ドイツでいうところの大衆紙であり、分析的な記事は一つもない。断定的であったり、情緒に訴える論理性のない記事がほとんどだ。天声人語のような論旨不明の文章は先進国のクオリティー・ペーパーではまずみかけない。
しかも、記者クラブの弊害として、横並びの、さながら各省、各社の広報記事が多いことも日本の新聞の特徴だ。(此の辺に関しては、上杉隆、鳥賀陽氏等がいろいろ著作を発表しているので、参照。 この二人の共著の『報道災害』において、元朝日新聞記者の鳥賀陽氏は、各省の記者クラブ担当記者が、その省を一体化し、「わが省は」などと言い出すことを証言している。)
この官僚制と新聞記者らの一体感は、既得権に対する改革を反古にしようとする力学へと昇華する。それをさも社会の木鐸ぶって行うので非常に性質が悪い。
さらに日本では大手新聞とテレビも系列化しており、チェック機能が働かない。とくに広告媒体であるテレビと、購読料ベースの新聞が系列化していることで、新聞までもが大口の広告主の利害を配慮してしまうという悪癖つきである。 
こういったメディアが、改革志向のリーダーが国民に政策を訴えかける手段そのものを奪ってしまっている。日本の悲劇だ。日本の新聞にも全盛期はあった。おそらく70年代後半から進んできた日本の保守化が、日本社会から争点を人為的に消し、言論の場の劣化を生じさせたのだろう。これについては、そのうちまとめてみたい。 
(3)小選挙区制と強い二院制の不整合性 (いわゆる「ねじれ国会」の制度的根源)
制度的に小選挙区制と強い二院制の組み合わせは不安定である。
強い内閣型のイギリスの議会民主主義は、実質的には一院制の議会によって成り立っている。ところが、日本はイギリスを真似たものの、参議院には拒否権があり、強い二院制の国である。このために折角、首相に権限を集中させるような制度をつくっても、政権党が参衆両院で過半数がない限り、権力を掌握できない。これがねじれ国会といわれる問題だ。
ねじれ国会は1989年から起こっており、自民党幹事長だった小沢氏がそれでも重要な法案を通したじゃないか、という向きもあるが、あれはあくまでも中選挙区という制度状況でのことだ。小選挙区においては、野党第一党は政権党に協力するよりも、失策に追い込んで、政権交代につなぎたい。これゆえ、小政党をまるまる連立に受け入れる以外にはねじれを超える手段はない。
 このような制度状況では、既得権益者らに挑む大きな改革を志向するリーダーが潰され易いのだ。ではどうすればいいのか?本来ならば、強いリーダーのもと全党一丸となって、既得権と戦うような政党が存在し、政権交代をもってして、それまでの与党と癒着した既得権益をバッサリ斬ることが望ましい。国民はこれを民主党に託したが、夢は破れた。民主党という政党自体の内部的な組織作りがしっかりしていなかったこと、あまりにナイーブな経験不足な党であったことは問題であったが、ここでいうような制度上の構造的な問題があるために、改革派のリーダーが党内固めをする時間自体がなかなかとれない。
ではどうすればよいのか? 

完全な比例代表制への移行が一つの解決策だろう。比例代表制をいう制度は、小選挙区制と違って、議席数と投票数がきれいに相関するので、数%の票差が大きな議席数のギャップを生み出したりしない。。しかも、党首個人のイメージでなく、政党が代表するう団体・有権者層がはっきりするために、政党の差がわかりやすい。もしもメディアが党首のスキャンダルなどで失脚をしかけてきても、政党自体の立場がぶれることはない。この為にメディアの操作が大きく選挙の結果に影響を及ぼすことを防げる。

現在では、自民党・民主党内部に非常にイデオロギー的・政策的に異色菜なグループが混在している。完全な比例代表制への移行により、いったこれらのグループが奇麗に小政党となり、 政党再編するためのハードルが下がる。

しかも、比例代表だと党の組織をしっかりさせないといけなくなるので、足腰のしっかりした政党作りが進む。

こうして政党が切磋琢磨し、政策を競うほうが日本政治に望ましいだろう。そして、各党で、共産党の赤旗のような機関紙をつくり販売していくことで、日本の新聞の問題点も乗り越えることができる。

政策的に類似した政治家たちが政党再編し、似たもの同士で連立を組めばいい。スペインのように完全な比例代表制でも、さながら小選挙区制のようにはっきりと保守対社会勢力に政党が分かれ、政権交代がおこる国もある。日本でもきちんとした実質が伴う政権交代を目指すには、比例代表制への完全な移行を考えてみる必要があるのではないか。