Saturday, January 7, 2012

年が明けて

日本が置かれている現状を前に、めでたいとい気持ちにはなれない2012年の幕明けだった。日本はどうなるのだろう、というのが31日に就寝する際に頭に浮かび、1日に目が覚めてもやはり頭にこびりついたままだった。

元旦早々の地震、地震が原因とみられる福島第一4号機使用済み燃料プールの水位低下は、野田政権の「冷却状態」の達成、「第2ステップ収束」という広報以外の意味を持たない言葉の欺瞞を白日にさらした。

内閣官房参与を抗議の辞任をした、東京大学教授小佐古敏荘(こさこ・としそう)氏が5月に米紙ウォールストリートジャーナルのインタビューで話した通り、秋の収穫を迎え食糧汚染の深刻さがわかってきた。とはいえ、政府が少ないサンプルでの食品検査しかしていない以上、実際の汚染状況を過小評価している可能性があることは否めない。また、放射性物資はセシウムだけではないにもかかわらず、政府も大手報道機関も国民を啓蒙することはせず、ひたすら通常の生活を続けさせることに重きを置いている。

12月には東京に数日間戻り、友人・知人とも再会を果たした。街を歩きながら不思議だったのは、あまりにも皆普通にしていることだった。一方でガイガーカウンターでは事故前よりも高い数値がピッピとはじき出される。福島原発事故による放射線被害を心配する人たちのことを「放射脳」と揶揄するのは、すでにTwitterなどで見て知ってはいた。

何事もなくクリスマスセールをエンジョイする幸せそうな人々の様子をみると、自分と家族にとって重大な情報に対しても受動的な彼らを責める気には到底なれない。子育て、仕事、住宅ローン、長時間の勤務・通勤をしていれば、新聞の見出しを信じる方が効率的に違いない。

そして、新聞社やテレビ局の人間もその大半はやはり「なんとかなる」と楽観視しているに違いない。(とはいえ、自分らは原発の50キロ圏外逃げておきながら、枝野元官房長官の嘘の片棒を担いだ罪はいずれ国際的にも断罪されるであろう。)

だとしても、どうしても引っかかるのが、なぜ自分の頭でモノを考えようとしないのか、という点だ。日本人はかねてから、食品の安全などには神経質な国民だ。この点ではドイツ人に似ているともいえる。ところが、どうしてドイツと日本ではここまでも福島原発事故後の反応が違うのか?もちろん、日本には大きな原発利権が存在し、メディアと政治を牛耳っている。ドイツではSiemensが原発に関わっていたとはいえ、東電のようにメディアと政治を操っているわけではない。こういう構造的な違いはもちろん重要だが、なぜ国民の大多数がエックス線を浴びてはいけない妊婦が、福島原発の放射線だと浴びても大丈夫なのか、という矛盾を無視できるのか?この思考停止は何からくるのか?

福島原発事故のあとのプロパガンダの一つに、(正確には記憶していないが)線量が高くなっても東京だったら、一日の線量が胸部レントゲンを一回浴びる程度であるなど 、やたらレントゲンの例が使われた。じゃあ、どうしてレントゲンのときのように若い女性だったら腹部に鉛のエプロンをしなくてもいいのか?妊婦は浴びちゃまずいじゃない、とすぐに頭に浮かんだが、誰も指摘しなかった。

 「まるで一億夢遊病状態だ」と、東京の人たちを見て思った。