Monday, November 28, 2011

Japan’s Complacent Media and the Myth of Cultural Uniqueness



Michael Woodford, the former British CEO of Olympus is back in Tokyo to meet with the Olympus board members.  While in Tokyo, he gave a press conference at the Foreign Correspondents’ Club.  When a journalist asked him why he had not gone to the Japanese authorities when he first learned about potential wrongdoings by his predecessors, Woodford answered with a rhetorical question: Does anyone the room believe that such action would have been effective?  The Olympus saga raises grave concerns not only about corporate governance but the transparency of any large Japanese organization. 

The most interesting aspect of the Olympus saga has been the reaction of the Japanese mainstream press.  Their first coverage of Woodford’s dismissal was to repeat verbatim the Olympus’s official announcement:  Woodford was a foreigner who didn’t understand Japanese culture and proved dysfunctional.  Even after various British and American newspapers published detailed stories, Japan’s mainstream newspapers did little more than summarize foreign news coverage.  It was only after the free fall of Olympus stock price that they started following the story more earnestly.

The silence of Japanese mainstream papers is especially surprising, because a Japanese monthly magazine, FACTA, first broke the story of accounting irregularities in Olympus’ M&A deals back in July.   Since the writer of the FACTA article was a former journalist for Nikkei, a major business paper, the question arises why mainstream newspaper journalists have been so reticent to pursue this story. 

The answer has a lot to do with the structure of the media in Japan.  Japanese newspapers have a strong incentive to underplay stories that reflect badly on those corporate clients who buy their advertisement slots.  In all countries, businesses exert financial pressure on newspapers.  But when there is competition in the market and in politics, it creates space for a free press and lively debate.  In Japan, the lack of any such competition makes financial pressure on newspapers much more insidious.  Unlike in the US or UK, there are no independently owned national newspapers.  In Japan, a handful of national papers and TV networks own one another and form very close-knit media conglomerates.  TV networks, whose main revenue source is advertisement, are even more vulnerable to corporate pressure.  Moreover, a mammoth advertisement company controls a large bulk of the flow of advertisement money in Japan.  TV networks depend on advertisement companies for their revenue.  This vulnerability feeds through to the major newspapers that own the TV networks. 

As far as the Olympus case goes, Nikkei and Asahi were visibly less critical of Olympus in their coverage.  Not surprisingly, Nikkei and Asahi, received more advertisement contracts from Olympus than other papers.  Nikkei received the most amount of ads from Olympus, and Asahi came second.  Asahi also benefited from Olympus sponsoring of one of the TV programs in TV Asahi.  I hasten to add that Nikkei was the only paper that printed an exclusive and defensive interview with Olympus chairman Kikukawa, who hired and fired Woodford. 

The complacency of the media produces grave consequences for Japan well beyond the Olympus saga.  It has hindered debate about the causes and consequences of the Fukushima nuclear accident.  Journalists from the mainstream press hardly question Tepco—the owner of the crippled nuclear power plant despite its record of concealing accidents and inconvenient data.  Immediately after the accident, Tepco announced that they would be taking out advertisements in all major newspapers to apologize for the accident.  Tepco, which has a regional monopoly and no need for advertisement, has one of the biggest advertising budgets. 

The complacency of the press undermines Japanese democracy.  The combination of the ownership structure of media conglomerates and collusion of interests within the corporate sector makes Japan a society where consent is easily manufactured and dissent suppressed.  The press often uses ‘Japanese virtues’ and ‘Japan’s cultural uniqueness’ to cover up these facts.  It is not Japanese to disagree or challenge the authorities, the story goes. The ruling Democratic Party of Japan (DPJ) was aware of some of these problems when in opposition.  It had vowed to end the debate-stifling cross-ownership structure of the Japanese media.  When they finally came to power in 2009, the time seemed ripe to democratize the Japanese media.  Unfortunately, after facing a very hostile press, the DPJ government quickly caved in. 

The Fukushima Accident has, however, had one silver lining.  It has pushed some Japanese newspapers and companies to fight back.  More citizens have begun to realize that much of the press coverage has been mere PR rather than journalism.  This has created an opening for some newspapers to challenge the market share of the two largest national papers.  Japanese language editions of foreign press are also increasing the competition in the information market in Japan as evidenced in the recent Olympus saga.  Only by destroying the cozy relationship in Japan between the press and powerful organizations is there any hope of building a free, safe and prosperous society.

Thursday, October 20, 2011

日本の病理:日経新聞も日本生命もオリンパスと変わらない

今回のオリンパスの不明瞭な買収劇は世界的に注目を浴びるような事件に発展しつつある。10月20日米国東部時間午前10:17のロイターの配信によると、オリンパス前社長のウッドフォード氏は新たな事実関係を掴み、それを英国のSFO(Serious Fraud Office 国際的犯罪などを担当する重大不正捜査局)に提出。SFOは、ウッドフォード氏に身辺警護の必要などについて警察に問い合わせるよう勧め、前社長は警察に相談中とのこと。警察の保護が必要になっているということは、「反社会的組織」の関連を裏付けるような情報があるということであろう。日本では株主総会といえば総会屋の活躍の場であったが、総会屋の締め出しが厳しくなるとともに、手口が変わっていったことと今回の買収劇にも関連があるのかもしれない。

ウッドフォード氏出身の英国ではファイナンシャルタイムズ紙が積極的に報道しているのみならず、テレビのチャンネル4のジョン・スノーのニュース番組にも前社長が登場して、インタビューを受けるなど、大きく報道されている。米国でもウォールストリート紙といったビジネス紙そして一般紙のニューヨークタイムズ紙も大きく取り上げている。日本の一企業ということを超え、日本のコーポレートガバナンスの問題として取り上げられている。日本の大企業全体の信頼に関わる問題に進展しかねない。

英国のチャンネル4でウッドフォード氏がはっきり言明した一点は重要だ。彼は「私は日本が大好きだ。日本人の多くなまともな不正を行わない人たちなんです。だからこそ、私は取締役たちの言動に大きな戸惑いを感じるのです。日本には沢山の美徳があるけれど、西洋的なのも(透明性という意味)を少し取り入れることで日本自体も得るものが非常に多いのではないかと思う」と。良心のある日本人らがこれを肝に銘じて、闘う必要があるのではないか?ちょっと考えれば、透明性が西洋的なもの、なんていわれること自体が恥ずかしいことではないか。

透明性を妨げるものは、「日本人」でも「日本の誤った美徳」でもなく、情報や権力を握る一部の日本人の「私欲」以外の何ものでもない。これを「日本の組織風土」などといって、大衆を洗脳してきたのだから許しがたい。 今日のブログではこの洗脳の先頭に立ってきた日本のメディア、そして、能力のない経営陣に甘い大株主としての生命保険に焦点をあてたい。特に今回のオリンパス騒動に関しては、日経がもっとも関係ありそうなので日経に焦点をあてるが、オリンパスや東電が「日本の病理」の象徴の一つにすぎないように、また日経も「病理」の一つにすぎない。朝日や読売もまったくしかりだ。

そもそも今回のオリンパスの不明瞭なカネの流れを指摘したのは月刊誌FACTAの8月号だ。しかもFACTAは、6月にオリンパスにも公開質問状を出したり、積極的に問題を顕在化させようとしてきた。ここで非常に大切なポイントは、FACTAの発行人の阿部重夫氏もスクープを抜いた山口氏も両氏とも元日経新聞の記者だという点だ。山口氏は日本公社債研究所(現格付投資情報センター)アナリスト、日本経済新聞証券部記者を経た株式関連のプロのジャーナリストだ。

ここで浮かぶ疑問点は三つ。一つ目は、なぜ現役の日経新聞記者らにはスクープ記事どころか後追い記事さえも書くことができなかったのか?二つ目は、なぜ、日本の証券アナリスト達は山口氏のようにオリンパスの買収の不自然さを指摘しなかったのか?三つ目は、なぜ、日本生命のような大口株主が大きな損失を出した買収に疑義を挟まないどころか、FACTAのスクープ以降も何も言わなかったのか。

日経新聞とオリンパスの関係
10月19日つけのFACTAオンラインは(リンク)、日経がオリンパスの菊川会長をかばっている節があることに言及している。
フィナンシャルタイムズ(FT)やウォールストリート・ジャーナル(WSJ)、ニューヨークタイムズなどで、菊川会長らの嘘が暴かれ始めた。前社長 に企業不正を暴かれそうになって、解任の強硬手段に踏み切ったというのが真相だと。自力で調べる気のない日本のメディアまでそれを引用しだしたから、オリ ンパスの株価は炎上した。
形勢不利とみた菊川氏は、頼みの綱の日経にすがる。18日夕刊の「海外買収の手数料、適正」という菊川氏の反論記事を独占掲載したのがそれだ。虫唾が走るような「御用新聞」根性ではないか。まさか、10月24~25日に開く日経フォーラム世界経営者会議に菊川氏が講師として出席するので、かばおうとしているなんてことがあるとは思いたくない。
 オリンパスの社外取締役の来間(くるま)紘氏の経歴であるが、彼は慶応大学卒業後、日経新聞に入社、専務取締役まで上り詰め、そのご日経BPの副社長を務めたのち、系列の愛知テレビの社長を務め、今年の6月末にオリンパスの社外取締役に就任している。2007年の愛知テレビ社長就任の際に、日経新聞の顧問に任命されている。

相次ぐ企業買収の失策で損失がでているオリンパスがメディア対策として日経の大物OBを受け入れたと見られてもいたし方ないだろう。実際、日経における今回の社長解任のニュース、そしてそれ以降の記事を見ても、真剣に取材をしているとは見受けられない。日経の10月20日の「オリンパス解任騒動、海外メディアが相次ぎ続報」という記事見出しには失笑した。

日本生命の不作為

金融ビッグバンで生命保険業への新規参入が起こったが、歴史的に日本の生命保険会社は日本のコーポレートガバナンスを曖昧なものにする一役を買ってきた。今回の日本生命が良い例だ。日本生命がそうであるが、もともと生命保険会社は株式会社ではなく、相互会社、つまり契約者が主の会社形態をとっている。しかしながら、契約者には顧客としての意識しかなく、株主総会に匹敵する会合には社員が出席してきたといわれている。

金融ビッグバン以前は新規参入もなく、生命保険のビッグ2の第一生命と日本生命は、世界的にも巨大な生命保険会社として、多くの大企業の筆頭株主を務めてきた。株主ではあるが、それと交換に、大企業の社員を生命保険の顧客として抱え込むことが事実上許されていたために、持ちつ持たれつの関係ができていた。大企業に勤めた経験のある人ならばわかるだろうが、生命保険のおばちゃんが自由に職場に出入りしていたのはそのためだ。

つまり、持ち主が持ち主意識を持たず、経営陣への監視が全くなかったのが日本の生保なのだ。そのような特異な組織がこれまた日本の大企業の筆頭株主であるのだから、まともなコーポレートガバナンスなど無理な話なのだ。

今回、日本生命は筆頭株主でありながら、全くオリンパスの業績に関しても、社長解任についても無頓着であった。大騒ぎになり、やっと重い腰を上げたように見えるが真剣でないことは明らかだ、。外国人株主らが東証に対して、追加情報開示を要求する書面を出したにも関わらず、日本生命は単にオリンパスに対して「十分な説明」を求めただけである。ブルーンバーグが詳しい。リンクはここ

昔、『Noといえる日本』などという本があったが、今、日本が必要としているのは『Noといえる国民』だと考える。東電やオリンパス、いい加減な新聞社や金融機関にNOというべきではないか?

Monday, October 17, 2011

日本の大新聞の死:オリンパス買収劇のきな臭さを最初にスクープしたのはFACTA

日本の大新聞は相変わらず、オリンパスに気兼ねしながらの報道。大体、海外メディアに出し抜かれたどころではなく、もう3ヶ月前に週刊誌がすっぱ抜いていた企業の大スキャンダルを全くスルーしていたという事実には驚きを隠せない。といいたいところだが、実は、もう有り余るくらいに類似のケースを見ているので、ちっとも驚かなかった。東電の件といい、日本の大新聞が大本営報道という世論操作と政府・企業広報の道具と化してしまっていることは明らかなようだ。FACTAのスクープはもと日経新聞記者の阿部氏。ジャーナリズムは新聞をやめてからでないと無理なようだ。


FACTAの8月号のカバーストーリーは:


オリンパス 「無謀MA」巨額損失の怪
零細企業3社の買収に700億円も投じて減損処理。連結自己資本が吹っ飛びかねない菊川体制の仮面を剥ぐ。
内容はFACTAのオンライン版で読むことができます:リンク


ここで興味深いのは、今回、菊川会長に突如解任されたウッドフォード前社長が、そもそも自分が取締役会に加えられる前にあった海外企業買収に興味を持った理由だ。この辺の事情は米紙ウォールストリート紙が書いているが、FACTAのスクープを見て、詳細な調査を決心したようだ。


日本語版から関係箇所を紹介したい。記事へのリンクはここ


同氏によると、菊川氏との決裂につながった疑念が生じたのは7月、月刊誌「FACTA」がオリンパスによる日本の小企業3社の買収について疑問を呈したと きだった。この3社は2006年から08年にかけて約700億円で買収された。1社は「ヒューマラボ」というフェースクリームやサプリメントなどのメー カーで、それ以外の2社は、医療廃棄物のリサイクルを行う「アルティス」と、電子レンジ用容器のメーカー「NEWS CHEF」だ。同誌は、売り上げも少なく、特に際立って価値のある資産があるわけでもない非上場企業に対して、オリンパスがなぜ大金を支払うのか不可解だ としていた。

FACTA発行人であり、元日経新聞記者の阿部重夫氏はFACTA8月号の記事以前にオリンパス会長にインタビューを申し込み、当然ながら断られる。阿部氏がオリンパスに宛てた書面には一つ重大な事実が隠されている。日経新聞系列の愛知テレビ社長を退任した人物来間紘氏)が、オリンパスの取締役におさまっていることだ。日本において、企業とメディアの癒着がどのように起こるのかがよくわかる。

FACTAleaks――オリンパスへの公開質問状と宣戦布告

2011年07月15日

念のために申し上げましょう。日本経済新聞系のテレビ愛知社長を退任した来間紘氏が、オリンパス取締役に就任されました。来間氏は小生の尊敬する先輩で す。菊川会長以下の経営陣の方々は、FACTAおよび小生がどういうジャーナリズムかをご存じでなければ、来間取締役にお尋ねください。
http://facta.co.jp/blog/archives/20110715001009.html



今年の4月からの学習指導要綱では、小学校で新聞を教材にしての授業などを行うことにしたようだが、先のある子供たちに、「善意を装い悪とつるむ」かのごとくの日本の大新聞を読ませることに、私は大反対だ。

解任されたウッドフォード前社長が菊川会長に宛てた手紙の和訳

***新しいブログ記事:「日本の病理:日経新聞も日本生命もオリンパスと変わらない」も合わせてご覧ください。http://japanprof.blogspot.com/2011/10/blog-post_20.html


ニューヨークタイムズ紙が、先週金曜日に突然解任されたオリンパス前社長、ウッドフォード氏が菊川会長と取締役会宛に出した10月11日付けの書面をオンラインで公開しています。日本の新聞が全く報じないその内容を以下で和訳しました。非常にテクニカルな金融取引の内容は飛ばして、まとめ部分と、書面の最後の(菊川会長ともりひさし氏に辞任を迫る)結論部分は全訳してあります。英語の読める方はニューヨークタイムズ紙で実物をご覧ください。このリンクで書面そのものがダウンロードできます:

これが問題の書面の1ページ目。10月11日付けで、「手紙その6:企業買収に関連する重大なガバナンス問題」と題されており、菊川会長宛てに13ページの書面。会長宛であるが、最後のページに名前が載っている取締役会前メンバーにもコピーが同時に送られている。この文の書き出しからわかるように、ウッドフォード前社長は菊川氏と英語の愛称「トム」と呼んでいる。

1ページ目

 最後のページが以下。ここの名前のある取締役会メンバーにはこの「手紙6」という書面が同時に送られている。書面の中で明らかになるが菊川会長と一緒に買収に関わった「Mori Hisashi」氏の名前が筆頭にある。
 「手紙その6:企業買収に関連する重大なガバナンス問題」

トムへ、

上記の件で森さんと貴方に宛てた手紙、そして9月30日の取締役会で言ったように、オリンパスの企業買収にまつわる非常に重大なガバナンス問題を調査した結果を取締役会とE&Yのグローバル幹部経営陣に報告をしますと約束しました。やっと、Moriさんから貰った資料なども含め、事情を詳しく調べることができました。

9月30日の取締役会で説明したように、非常に気になる点が数点あったのですが、取り急ぎ、特にわが企業そして株主に大きな損失を与えた下記の2点に焦点をあてて調べました。
1)AXES/AXAMの二社の金融顧問会社に、GYRUS買収の際に支払われた6.8億ドル以上の額のカネの問題。
2)わが社が買収額を決定して投資を行って6ヶ月以内にALTIS, HUMALABO, NEWS CHEF 三社の価値が6億ドル近く減少したこと。

私がこれらの件の調査をするに際しては、問題の性質と複雑性のために、社長としての私に、独立の立場からアドバイスをしてくれるよう、プライスウォーターハウス(PwC) 社を雇い、特にGYRUS買収の際のAXESとAXAMとのお金の流れ、契約を精査してもらいました。PwCの30頁にわたるリポートは同封してあります。

10日前くらいまでは、東京でMoriさんとPaul Hillman と話しもしましたし、私は会社として解決に向けて進むために必要な共通認識を共有できることだろうと思っていました。ところが、PwC社のリポート内容は関係者の非をあまりにも明らかにするものであり、わが社の企業上層部の入れ替えなくては解決があり得ないことがはっきりしました。

とこのあと、2頁目では、AXESとAXAMとの2006年の詳しいお金の流れ・契約内容などについて。この頁の最後にまとめがあるので、それを訳します:
Review Findings (リポートで検証された点):
1)弁護士による法的なアドバイスはきちんとあったものの、AXESとAXAMに支払うことになった金額が相場的に正当なものであるかの確認に関しては専門家のアドバイスは受けないまま、契約内容を決定。
2)AXESという会社に関して、その経歴など調べはなされなかった。(ブログ筆者注:AXESとAXAMの取引にはキャッシュのみでなく、株式譲渡も含む)

3頁では、同じくAXESとAXAMとの2007年の支払い・契約内容について、最後のまとめが以下:
1)2回めの契約に関しては、弁護士も雇わなかった。
2)またしても金融サービスの対価が相場に照らし合わせて正当なものであるかの確認もなされないまま。
3)取締役会での承認のないまま、会長の菊川、そして取締役のMoriHisashi氏と取締役監査役YamadaHideo氏三者の稟議のみで契約に署名。契約後5ヶ月後に、事後的に取締会の承認を受けた。
4)契約ではさも企業買収額の最大5%がAXESとAXAMの報酬額のように書かれているが、契約書面での言い回しのために、実は5%をかなり上回る額になるようになっていた。
5)PwCによれば、類似のサービスへの報酬は通常買収額の1%。ごく稀な特別な場合でも2%という。つまり、買収額が20億ドルだったGYRUSの場合は、報酬は2000万ドルから4千万ドルになる。
6)ところが、2008年2月の買収時、報酬は1.87億ドル。つまり買収額の10%であった。

4頁でさらにまとめが:重なる部分があるので省略。

5-6頁では、オリンパスのグローバルな再編の結果、買収したGYRUSグループ を単独の上場企業としない方針が決定。このためにAXESとAXAMとの交わした契約上、報酬の一部がGYRUS株の譲渡で支払われていたために問題が生じた。これがどう処理されたかについての調査結果。長いので全文和訳しませんが、特に重要なのは、書面で1.5とされたセクションの(ii)と(vii):

(ii) 2008年7月31日には、このために雇ったKPMGとWeil, Gotshall & Mangers (WGM)が きちんと’した対策をオリンパスに提示。株の分は現金支払いで解決することが一番望ましい、との内容。
ところが、オリンパスはこの忠告を無視して、税金対策上どうしても現金払いでは嫌だというAXESとの交渉で優先株に交換。

優先株への交換に際しては、外部の専門家のアドバイスはなしに、先方との話し合いで合意。

(vii) 先の合意から2ヶ月しないうちに、2008年11月25日にAXAMは優先株を買い取ってくれとオリンパスに連絡。優先株の価格設定については、オリンパス側の提示価格はSHINKO証券が担当し、AXES/AXAMの主張する額と、SHINKO証券の試算額の中間で合意。取締役会も2008年11月28日に承認。

 6頁の最後:
オリンパスの担当者らは、報酬として譲渡されていたGYRUSの株オプションが上場廃止に基づき問題となった ことを解決する際に、プロの忠告を無視し、優先株と交換。しかも、ケイマン諸島に本社登記がされているAXAMに関してなんらの前調べもしなかった。

などなど非常に細かく、如何にきちんとした手順を踏まずにいい加減な合意が繰り返されたかを、外部の監査組織の調べにもとずいて淡々と記録。ALTIS, HUMALABO, News Chefの買収においての問題点については9-10頁に詳しい。ここでの問題は、買収し終わってまもなく、3社の価値が投資額の25%まで下がってしまった、ということ。

11-12頁には結論として:

GYRUSの買収は、PWCの調査結果から明らかにするように、最悪な過ちと尋常ではない判断の欠如の連続だった。ALTIS,HUMALABO,NEWSChefの買収と合わせると、驚くべきレベル(13億ドル)の株主利益の破壊といえる。先日、UBS銀行のロンドンの銀行の規定を破り、不良トレーダーが膨大な損失を出し、結果として経営幹部が辞任した例に匹敵する。GYRUSに関する問題、そして全く価値のない企業三社の買収に際して、最も私が問題視するのは、これがオリンパス社の経営最上層幹部により行われたという点である。

トム(菊川会長)、9月29日にの会合で、貴方はALTIS,HUMALABO, NEWS CHEFの買収についての自分の判断の甘さを認めましたが、オリンパスという一流上場企業が、7億ドルという金額を誰がオーナーなのかもはっきりせず、外部監査法人も利益享受などがあったかを確認できないようなケイマン諸島の会社に支払ったということが、私から見て尋常ではく、正直いって信じられないほどです。これが日本の、そして世界の株主にわかれば、わが社の信頼は大きく傷つかざるをえません。PwCリポートが指摘するように、ケイマン諸島のAXAMは、オリンパスが最後の支払いを済ませた3ヶ月後には、金融会社としての登録料未払いで、登録を取り消されているのです。

 あまり重要でないパラグラフは抜かして、最後のパラグラフが:

会社(の存続)第一に考えると、もっとも望ましいのは、貴方とMoriさんが、想像に難くない大変なことではありますが、責任を取ることです。 問題解決のためには、あなた方二人が取締役会に辞任届けを出す以外の方策はないのです。こうすれば、オリンパス社にダメージの少ない解決法を見出すことも可能でしょう。もしも辞任をしないということでしたら、社長として株主への責任を果たすために、企業内のガバナンスに対しての問題提起を関係当局に起こす義務が私にあります。

明日東京に戻りますが、東北に行く予定があるので、貴方とMoriさんと金曜日にお会いし、方策を話し合いたいと思っています。(ブログ筆者注:この金曜日にウッドフォード氏は解任)

マイケル・ウッドフォード

Sunday, October 16, 2011

日本のメディアの劣化:オリンパス社イギリス人社長解任劇続報

続報です。ちょっと前に産経新聞と毎日新聞がネットで、オリンパスについて、今までと全然違った記事を配信。

「不適切行為の調査したら解職された」 オリンパス前社長が英紙に主張(産経)、オリンパス:前社長「不明朗買収調査で解職」 (毎日)などと威勢のいい見出しはついいるものの、中味は情けなくも、このブログで紹介したファイナンシャル・タイムズ紙の記事の紹介!産経の記事のリンクはここ


毎日新聞の記事へのリンクはこちら

驚くべきことに、産経も毎日も自分らでは何も取材をしていない!



夕べのブログではファイナンシャルタイムズ紙の記事のみを紹介したが、ウォールストリートジャーナル紙も、オリンパスの過去の企業買収に関して不明朗な点があったことで、ウッドフォード社長と菊川会長をはじめとする守旧派が対立したことが、突然の解任の背景にあると、類似の内容の記事を10月15日に配信している。ウォールストリートジャーナルではJuroOsawa記者がやはり、しっかりとウッドフォード前社長に直接インタビューしている。

どうして日本の大手新聞は直接前社長にインタビューをしないのか?オリンパスに気兼ねしているのか?どうして、他の新聞社の記事を丸写しにして、記事を気取れるのか?


原発、放射能汚染の報道にしたって同じ事。記者会見の様子を見ても、まじめに取材して質問している人はほとんど大手新聞の記者ではない。これも岩上安身のUstでの動画などで初めて目に見えてわかったこと。


日本のメディアの劣化については、田中龍作、畠山理仁、上杉隆、魚住昭、鳥賀陽弘道、岩上安身諸氏が、文字通り、口を酸っぱくして語ってきたテーマだ。つまり、オリンパスの突然の外国人社長の解任劇を巡る日本国内の報道も、「またか」という類の話である。

大手メディアは単に劣化しているだけでなく情報操作をしているので、そのパターンを見抜く力を養うことも大切だ。文化論をもちだしてきたら、まずは「眉につば」である。サブリミナルなメッセージは、日本人だったら企業の日本人幹部を、あるいは政府を信じるべきである、という、いわば洗脳だ。

日本の将来を少しでも明るくするためには、大手メディアの操作から自由になり、きちんと自分の足で取材をしている代替メディアの応援をすることが大切な第一歩だ。

Saturday, October 15, 2011

オリンパス外国人社長解職の裏の真相:またも日本の企業と新聞による情報隠蔽か?

電力会社に関する件のみならず、日本の大手新聞各社の報道姿勢が如何にいい加減かがよくわなる事例がオリンパスの社長解職劇だ。

今月の14日、新聞各社が、オリンパスの外国人社長(英国人)が就任からわずか半年経たずに解任されたと報じた。一様に、文化的摩擦を原因として報じている。しかし、海外メディアでは違う報道がなされている。 日本の新聞は単にオリンパスの発表を垂れ流しにしているだけで、何の取材もしていないように見える。

今日のブログでは 、ファイナンシャルタイムズ紙の東京特派員(Jonathan Soble)によるウッドフォード前社長へのインタビューに基づく記事と、日本の大手新聞三社(日経、朝日、読売)の記事の内容を比較したい。ファイナンシャルタイムズ紙の記事は有料登録制であること、そして英語であるので、このブログでは簡単に内容を和訳して紹介する。FTの記事のリンクはここ。

簡単にいうと、ファイナンシャルタイムズ記事は、前社長が半年前に社長就任してから、2006-2008年にオリンパスが行った企業買収に際して、「消えた金」があることを知り、取締役会に説明を求めていたこと、解任の2日前に菊川会長に問題についての書面を出していたこと、などを明らかにしている。FTの記事は、オリンパスの企業買収に際しての支払い関係の内部書類も参考にしており、信憑性が高い。

つまり、こtのFTの記事を読む限り、前社長の突然の解雇は、問題を追及しようとする前社長と、問題追及を阻止したい菊川会長をはじめとする取締役会との対立が理由だったことが想像される。

ところが、日本の大手新聞各社は、オリンパスの発表通りの報道だ。「文化の違い」、とくに前社長が、日本の組織文化を理解できなかった点に問題があったという筋書きだ。どの新聞も、実は前社長がオリンパス勤務30年という経歴をもち、日本企業勤めの長い人物であることには触れていない。「消えた金」など、対立の真相は何も取材せず、単に、「和を尊ぶ日本人 対 美徳のわかならない外国人」さながらだ。福島原発事故のあと、外国人が日本を脱出したことを揶揄したのと同じ論調だ。

さらに、オリンパス株価の暴落についても日本各社の分析はいい加減だ。オリンパスの外国人投資家は当然FTの記事を読んでいるだう。これを読む限り、オリンパスが問題隠蔽のために、前社長を追放し、守旧派が実権を奪回した、ということになるので、株主の利益がさらに阻害されるとみて、株価がさがっているという分析が成り立つ。日本の新聞はこういったことには全く触れていない。

大企業・政府の広報機関のような日本の新聞と、自らの取材により紙面をつくるFT紙の差が浮き彫りになっている。

原発事故以降、電力会社の広告費に「買収」され、ジャーナリズムとはとても呼べない日本の大手メディアが問題になっているが、オリンパスの外国人社長解雇報道でも、大手メディアの劣化がはっきりわかる。 


こんないい加減な新聞が「世論形成」に一役買っている限り、日本に将来はない。

資料として、各紙の記事のタイトルの類似・違いをご覧いただきたい。いずれも日付は今月14日。

日経新聞

オリンパス菊川会長「文化の壁越えられない」ウッドフォード社長解職。 リンク


オリンパス菊川会長「ウッドフォード氏は独断専横的」リンク


朝日新聞

オリンパス英国人社長を解任=在念半年で。経営手法食い違い。リンク。


読売新聞

独断的な経営手法に反発。。。オリンパス社長解職。リンク
 「日本人と違った」オリンパスが社長を解職。リンク

ファイナンシャルタイムズ紙 
Ex-Olympus Chief Questioned Payments (元オリンパス社長支払いに疑義)

ファイナンシャルタイムズの記事内容の和訳は以下:

ウッドフォード前社長は、 解職の理由は、彼が取締役会に任命される以前にオリンパスが行った企業買収について調査を始めたことだろうという。今年の7月から、前社長は取締役会に対して以下の件での説明を求めていた:2008年の英国Gyrusという医療機器会社の買収、そしてその前にも3件あった買収にまつわる支払いについて不明な点。前社長がFT記者に見せた関係書類によると、オリンパス内部監査でも、外部の監査(KPMG)でも問題が指摘されていたことがわかる。

前社長は、オリンパス企業幹部が買収を巡って不正な利益を受け取った証拠はないが、多額の金が素性のわからない会社に払い込まれ「消えてしまった」ことを問題視している。

関係書類によると、Gyrus買収に際して、オリンパスは買収額の3分の一にあたる6.87億ドルを、素性のはっきりしないケイマン諸島のAXAMという金融アドバイザーに振り込んだ、という。 この3ヶ月後にはこの会社自体が金融取引会社としての登録を消して消滅。

この件について、前社長は今月11日に菊川会長宛てに、オリンパスの重大な判断ミスと過ちにより、株主に13億ドル相当の不利益をもたらした、と書面にて伝えた、という。 

FT記者のこの件についての問い合わせに、オリンパスはノーコメント。



Thursday, October 6, 2011

ウォール街占拠運動の背景:大きな不平等という事実と政治的平等という理想の狭間にゆれるアメリカ


米国内のムードは明らかに変化しつつある、と云いたいところだが、そうではない。国民のムードはとっくの昔に変わっており、それゆえにバラク・オバマが大統領に選ばれたといえる。それを忘れたのが、大統領、そのスタッフ、議会、ウォール街、そしてメディアだといえよう。少し前に繰り広げられた議会と大統領の財政削減を巡る政局も国民全く不在だった。

この間のアメリカの政治報道を見ると、いかにも草の根の運動はティーパーティ運動のみであり、アメリカ国民が望ろんhむは減税であるかのような論調も多かったが、これはとんでもない誤報だ。どの世論調査を見ても、国民の絶対多数は「富裕層への課税強化」と政府のムダの削減を求めている。

ここに来て業を煮やした左派の国民が立ち上がったのが全国に飛び火しているウォール街占拠運動だ。

ウォール街で始まったこの運動は、大都市に飛び火しただけではない。小さな地方都市でも賛同者たちが類似の抗議を開始しはじめている。全国各地の広場が抗議運動により占拠された今年の春以降のスペインのような雰囲気だ。

下に貼ったリンクはニューヨーク州中部の寂れた街で3日前に始まった「占拠運動」についてのテレビ・ニュースだ。

普通の「ちっぽけ」な市民が怒りもぶちまける。手書きのダンボールには「ウォール街こそ大量殺戮兵器だ」と書いてある。このニュースにでてくるシラキュースの2人で始めた抗議運動だが、三日経って、参加者人数は増えてきた。留意するべきは、こういった人たちが単にウォール街に怒るだけでなく、各地其々で地元の「不公平」「社会正義の侵害」についても怒っていることである。



国民には小さな怒り・大きな怒りがあり、彼らは普通の市民の声に耳を向けない政治家らに辟易している。自分達の生活が悪化する一方で、納めた税金は、他人の金でギャンブルしたウォール街の億万長者らの尻拭い、そして長引くイラク・アフガニスタンでの戦費に消えていった。金融危機を引き起こした張本人であるウォール街が納税者により救済されたにも関わらず、いまだもって誰も責任を取らずに性懲りもなく法外な報酬を受けていることに対して国民は本気で怒っている。

社会的なセイフティネットも整備されず、医療保険でさえ雇用を通して確保せねばならない米国では、雇用環境の悪化のシワ寄せは国民に大きな犠牲をもたらしている。大学卒業していなければ就職に不利であると、一年間に何百万もかか授業料と寮費を借金して卒業しても勤め口はなかなかない。いい仕事がなければ医療保険にも入れない。医者にかかるにも保険も現金もなく、自分の労働を提供するしかない若者の話なども報道されている。


一方で、自分の責任は自分でとる、ルールは守る、守らない人には罰則がある、というアメリカ社会の鉄則が通用しない社会階層の存在に国民皆が気がついてしまったのだ。


これにより、資本主義を民主的なものだと説明することで成り立っていたアメリカの政治方程式に疑惑をもつ国民が増えてきた。マンハッタンでのウォール街占拠運動の声明をみても民主主義と資本主義の葛藤が読み取れる。内容はここをクリック


イデオロギー的な側面での差異こそあれ、ティーパーティ運動もウォール街占拠運動も、その根底には、不平等の拡大と経済力により歪められた政治への不信がある。実際、過去20年間の米国における富の集中化には目を見張る。


まず、最初の図を見て欲しい。この図では所得階層上位10%と1%の所得が総所得に占める割合の歴史的変遷を示している。第2次世界大戦と戦後の経済成長が平等化の時期に重なり、80年代から、「歴史が逆行」しだすのが良くお分かりいただけるだろう。




つぎの図はアメリカにおける労働分配率の歴史的推移を表したものだが、やはり80年代に大きな変化があったことがわかる。



どうしてこのように激しい不平等の拡大が起こったのか。これには諸説あるが、ロバート・フランクらの共著『勝者が全てを得る社会』が論じたように、技術革新 により報酬の上限が引き上げられたことなども考えられよう。しかし、政治学者のジェイコブ・ハッカーとポール・ピアソンらは1978年のキャピタルゲイン減税導入以降に起こった大きな政治の地殻変動に注目する。70年代後半から資本家らは労働組合の勢力を殺ぐべく、政治戦略をかえる。首都のワシントンにロビイストを抱える企業数も1971175社から、1982年には2500社へと10倍以上に増えたし、労働組合の強い北東部から労働組合のない南部へと製造業が移動し始めるのもこの頃だ。

レーガン政権下で財界よりの共和党の集金力は増強されていった。これに対して、民主党は対抗勢力を組織するのではなく、財界に擦り寄っていった。民主党のクリントン政権はまさにウォール街寄りの政権であった。のちに問題になるヘッジファンドやデリバティブを規制しない、と決めたのはクリントン政権だった。クリントン夫妻の愛娘の就職先もヘッジファンドだったことは象徴的だ。

議会の重鎮がカネで買収されているだけでなく、クリントン・ブッシュ両政権では財務省そのものが金融界の代弁者となり、金融関係の委員会の有力議員らはもちろん、規制官庁もウォール街寄りの政策を志向するようになり、結果としての政府による規制の不備が、金融危機の原因となっていく。

変化を約束したはずのオバマ政権になっても何も変わらなかった。金融危機後、過去の政治と規制の欠陥が一般国民にも明白になったにも関わらず、全く軌道修正は行われなかった。それどころか、クリントン政権下での金融規制政策の大失敗の戦犯とも云える元サマーズ財務長官がオバマ政権の経済政策の指南役となった。(サマーズ自身は財務長官あるいは連銀総裁になるつもりだったようだが、前任のルービン長官のもとで補佐をしていた時期、そして自分が財務長官だった時期などに、議会に参考人で呼ばれた際に散々極端な市場擁護論を展開しており、金融危機後に発足したオバマ政権では任命に上院の承諾が必要な政府のポストにはつけることが不可能だった。)

日本の政治もカネのかかる制度だが(昔の中選挙区、政党助成金制度導入前はさらに)、アメリカの政治にかかる金額は法外だ。この為に、いくら改革を唄うオバマ氏も結局のところ、大口の献金をしてくれる金持ち層にはどうしても甘くならざるを得ない。今、アメリカで問題になってきているのは、まさに経済力の集中と民主主義というのは共存できないのではないか、ということなのである。

皮肉なのは大統領候補としてのオバマ氏がこの経済力の不平等と民主主義の相反性について最も雄弁に言及していたという点だ。この辺についてはオバマ政権内部の事情を書いたロン・サスキンドの近著が詳しい。この辺についてもまた現在進行形の抗議運動との関係で来週あたりにでもまた紹介したい。

Sunday, October 2, 2011

アメリカの抗議運動 ボストンでも

ウォール街を占拠しよう運動は金曜日にはボストンにも飛び火。ボストン市内のバンクオブアメリカ前で3000人が抗議運動。住宅ローンの焦げ付きによる差し押さえなどへの抗議だ。24人が不法侵入で逮捕されたが、大事にはならないですむ模様。ボストンヘラルド紙の報道によると警察がアグレッシブに逮捕したということでもないようだ。


バンクオブアメリカの広報担当者は、当該銀行が2008年以降、18000件の住宅ローンを書き換えたり、小規模経営者への貸付もしていることなどを指摘。抗議運動の主張は正しくないと反論。

とはいえ、バンクオブアメリカは損失穴埋めの為に、小口の預金者たちに新たな手数料を課すことを決定したばかり。抗議だけでなく、顧客も失うことになるかもしれない。

ボストンの抗議運動の様子は以下:

資本主義と民主主義の葛藤 ニューヨークの抗議運動による宣言 

日本では福島原発事故によって、日本という政治システムに内在する矛盾・欺瞞が初めて公けになってきた。これもソーシャルメディアやインターネットという新しい情報伝搬技術によるところが大きい。日本で明らかになってきたのは、政治家・官僚・メディア・学界が公益のためにではなく、経済界の一部と組んで、自分たちだけで自分たちだけのための政治を行って来たことだ。経済成長をしており、国民一般の生活も改善されている間には問題にならなかった仕組みだが、バブルがはじけて20年間もたつと矛盾が顕在化してきた。それが2009年の政権交代をもたらした。政権交代した民主党に対しての官僚とメディアの激しいサボタージュと抵抗はまんまも国民を騙せたかもしれないが、福島原発事故に至って、いよいよ、日本の民主主義の危機を隠し通せなくなりそうな気配だ。

類似した民主主義の危機は日本だけの話ではない。今年の3月には、スペインの若者たちが大きな都市から小さな街におけるまで文字通り全国で長期の抗議運動を行った。街の中の一番メインな広場に数か月もキャンプするとスタイルの運動だった。ポスターには「テレビは嘘を言う」「大資本とメディアの関係」などさながら現在の日本に対するようなスローガンも並んでいた。

そして9月17日にはスペインの若者たちの抗議運動に触発されたかのような運動がウォール街で始まった。10月1日には百数人の逮捕者もでたが、抗議運動参加者たちのまとめたメッセージも発表されたので紹介したい。(写真はウォール街占拠運動。)


写真http://www.dailykos.com/story/2011/10/01/1021956/-First-official-statement-from-Occupy-Wall-Street?detail=hide


9月29日のニューヨーク占拠宣言Declaration of the Occupation of New York City公式サイトはここ

(一字一句というわけではないですが、特に文字を電力会社などに置き換えると日本の状況とそっくりな部分を和訳しました。)

皆で集まり一緒に大きな不正があることを告発するに際して、何がそもそも我々が集まりきっかけとなったのか、ということだ。我々は世界中で企業による不正・犠牲になった人たちの味方であることを知って貰う為にこの文書を作成しているのです。
As we gather together in solidarity to express a feeling of mass injustice, we must not lose sight of what brought us together. We write so that all people who feel wronged by the corporate forces of the world can know that we are your allies.
一同した人民として、我々は次のような現実を認識しています。つまり、人類の将来は我々皆の協力を必要としていること、そして我々の政治システムは我々の権利を守るべきであること、そしてこのシステムが腐敗し機能しない上には、 我々一人一人が自分の、そしてお互いのの権利を守るしかないこと、民主的政府はその権力を人民に依拠するものであるが、営利企業は人民の合意なしに人民と地球から富を搾取するものであること、真の民主主義は経済力によって既定されたプロセスからは出てこないこと。我々の政府は人間よる利潤、正義より自己利益、平等より抑圧を重んじる企業によって動かされているのです。我々は、多くの人たちにこの事実を知らしめるために、市民としての権利のもとに、ここに平和的に集まって抗議をしているのです。
As one people, united, we acknowledge the reality: that the future of the human race requires the cooperation of its members; that our system must protect our rights, and upon corruption of that system, it is up to the individuals to protect their own rights, and those of their neighbors; that a democratic government derives its just power from the people, but corporations do not seek consent to extract wealth from the people and the Earth; and that no true democracy is attainable when the process is determined by economic power. We come to you at a time when corporations, which place profit over people, self-interest over justice, and oppression over equality, run our governments. We have peaceably assembled here, as is our right, to let these facts be known.
 もともと我々が住宅ローンを組んだのでもない金融機関により、我々のマイホームは不法に差し押さえられた。
They have taken our houses through an illegal foreclosure process, despite not having the original mortgage.
 これらの金融機関は何のお咎めもないまま、納税者から救済して貰い、幹部らに法外な報酬を払いつづけている。
They have taken bailouts from taxpayers with impunity, and continue to give Executives exorbitant bonuses.
そして、金融機関はその職場において、年齢、肌の色、性別、性的傾向により不平等と差別を恒常化させた。
They have perpetuated inequality and discrimination in the workplace based on age, the color of one’s skin, sex, gender identity and sexual orientation.
 営利企業は管理を怠ることで我々の食品を汚染し、独占により農業システムを弱体化させた。
They have poisoned the food supply through negligence, and undermined the farming system through monopolization.
そして、多くの動物たちへの残虐な処置を隠し、利益を生んできた。
They have profited off of the torture, confinement, and cruel treatment of countless nonhuman animals, and actively hide these practices.
企業は従業員がより望まし賃金と労働条件を交渉する権利をも剥奪しようとしてきた。
They have continuously sought to strip employees of the right to negotiate for better pay and safer working conditions.
そして、教育費のために何百万円もの借金を背負わせることで学生たちを人質に取った。
They have held students hostage with tens of thousands of dollars of debt on education, which is itself a human right.
企業は海外にアウトソースすることを脅しに労働者の健康保険と賃金を切ってきた。
They have consistently outsourced labor and used that outsourcing as leverage to cut workers’ healthcare and pay.
企業は裁判所に影響力を持つことで、国民を同じ権利を甘受することに成功したが、国民と同等の義務は持たない。
They have influenced the courts to achieve the same rights as people, with none of the culpability or responsibility
何百万ドルものカネを弁護士費用につぎ込んで健康保険契約から逃れようとし、我々のプライバシーでさえも商品として売っている。
.
They have spent millions of dollars on legal teams that look for ways to get them out of contracts in regards to health insurance.
They have sold our privacy as a commodity.
軍と警察を使い報道の自由まで制限し、危険な商品でさえリコールもせず、消費者の安全よりも利潤を優先している。
They have used the military and police force to prevent freedom of the press.
They have deliberately declined to recall faulty products endangering lives in pursuit of profit.
そして、こういった企業が引き起こした・そして起こし続けている危機にもかかわらず、相変わらず経済政策を牛耳りつづけている。
They determine economic policy, despite the catastrophic failures their policies have produced and continue to produce.
企業を規制すべき政治家には多額の政治献金を渡すことで、代替エネルギーをブロックし、人の命よりも薬品業界の投資を守るために安価な後発医薬品を使えないようにしている。原油漏れ、事故、不正会計などもわざと隠されてきた。そして、メディアをコントロールすることで、市民に間違った情報を与え、怖がらせている。
They have donated large sums of money to politicians supposed to be regulating them.
They continue to block alternate forms of energy to keep us dependent on oil.
They continue to block generic forms of medicine that could save people’s lives in order to protect investments that have already turned a substantive profit.
They have purposely covered up oil spills, accidents, faulty bookkeeping, and inactive ingredients in pursuit of profit.
They purposefully keep people misinformed and fearful through their control of the media.

They have accepted private contracts to murder prisoners even when presented with serious doubts about their guilt.
They have perpetuated colonialism at home and abroad.
They have participated in the torture and murder of innocent civilians overseas.
They continue to create weapons of mass destruction in order to receive government contracts.*
To the people of the world,
We, the New York City General Assembly occupying Wall Street in Liberty Square, urge you to assert your power.
Exercise your right to peaceably assemble; occupy public space; create a process to address the problems we face, and generate solutions accessible to everyone.
To all communities that take action and form groups in the spirit of direct democracy, we offer support, documentation, and all of the resources at our disposal.
Join us and make your voices heard!
*These grievances are not all-inclusive.

Friday, September 16, 2011

古賀茂明が語る日本の電力会社の権力のカラクリと期待できない野田政権

このブログでもすでに、経産省の改革官僚の古賀茂明氏については触れたが、今日は9月13日の「ニュースの深層」に出演した古賀による日本の権力のカラクリと野田首相の所信表明の分析を紹介したい。(是非、下のリンクで本人自身の言葉を聴いていただきたい。)

Youtubeでは3部に分かれてアップされているので、それぞれの内容を順序下記で紹介していくが、核心部分は第2部だ。ここで焦がしは非常に解り易く日本の権力構造のカラクリを明らかにする。第3部は野田首相の所信表明分析。一言で言えば、野田首相は何もわかっていない。一部の要約内容にざっと目を通していただき、第2部からご覧になることをお勧めする。

一部:公務員改革、座敷牢、枝野新経産省大臣について

主に上杉による古賀氏の紹介だ。古賀氏はもともと自民党時代に公務員制度改革に尽力した人物だが、これゆえに霞ヶ関全体を敵に回してしまう。民主党に期待するも裏切られ、省内でも仕事を与えられずに19ヶ月のあいだ実質的な「座敷牢」生活を強いられる。(この辺の詳しい経緯については『日本中枢の崩壊』が詳しい。)

古賀氏はもう役所を辞めることを大臣に伝えたとのこと。

枝野新経産省大臣については、業績という面で何もない人であるとバッサリ。口は達者で、いろいろいうが何をいっているのかはっきりせず、そこが霞ヶ関的には「安定感」ということになる。





2部は、それまでの「座敷牢」ではなく、もっと激しい古賀追い出し対策が始まったこと、とそれがなぜなのか、から始まる。こ の2部が核心部分ともいえる。古賀氏は恐らく電力会社の逆鱗に触れたことが理由だろうと推察。どうして電力会社には官僚の人事を動かすような権力があるの か?

電力会社の権力の源泉

*地域独占である為に、絶対に事業に失敗しない。
*総括原価方式である為に、コストそのものに利潤を載せることが許されている。つまり、コスト削減という経営努力をしないことで利潤が増える仕組み。(総括原価方式についての説明はここをクリック。)    

古 賀氏はこの仕組みがどう権力基盤につながるのかのカラクリを説明。コスト削減の必要がないどころか、コスト高であればあるほど儲かる電力会社は非常に発注・購入額の大きい企業。受注側の企業にとっては、高値でなん でも購入・受注してくれる非常に有難い顧客となる。この為に経済界は電力会社に足を向けては寝られない。電力会社には全く逆らえない。気に障るようなことも いえない。

さらに政治家への睨みも利かせている。地域経済そのものが電力会社により\潤うので、電力会社に嫌われる政治家は当選できない。 自民党議員は地元の経済界の応援で当選するので、電力会社には逆らえない。民主党は電力労連に抑えられており同じこと。連合のなかでも電力産業の組合は非常に影響力。連合が議員に踏み絵を踏ましている。

監督官庁の経産省はといえば、実は電力料金には税金が入っている。これに気づく消費者は少ない。広く薄くとっている。これが経産省のコントロールする特別会計に流れる。このお金を手放したくない経産省は色々いえない。


それに経産省が送電分離など電力会社の嫌がることをやろうとすると、政治家を使って圧力をかけてくる。人事で圧力かけたり、電力とは関係ない法案を通そうとする際に嫌がらせされる。

経産省にとっては、電力は大切な天下り先だが、経産省が力をもって天下りをさせているのではなく、OBが人質に取られているイメージ。つまり、 「言うことを聞かないとこの天下りポストはないよ」ということ。警察あるいは他の省庁からも満遍なく沢山天下っており、霞ヶ関への影響力大。

また、電力会社は官僚の子弟を雇用することでも影響力を行使。政治家の子弟も同じこと。 

 (追記 例えば、自民党の石破氏の娘も東電だ勤務だし、日刊ゲンダイによるとなんとこともあろうに原子力保安院の西山氏の娘もやはり東電勤務 (2011年4月27日付記事 リンクはココ)。

司会の上杉隆はここで、警察の天下りに見られるような国家への食い込みにより、電力会社は事故を起こし被害を出しても、生ユッケなどとの場合と異な り、誰も捜査の手が入らないのか、と指摘。日本はドイツ、米、仏のメディアがいうように原子力国家、原子力マフィア、原子力ロビーの国。

ここでメディアと電力会社の問題。電力会社の広告額は膨大。古賀はメディアの広告収入に一社が占める比率への規制があるべきと主張。 (上杉による と諸外国ではこういった規制のある国が多いとのこと。東電800億円、パナソニック700億円 トヨタ億円。一社が抜けると経営成り立たない、と上杉。) なぜ独占企業体に広告が必要なのか?


メディアの人間が電力会社に接待されお友達になってしまっている。電力会社のトップに可愛がられたり、ダイレクトに電話きる関係にあることを自慢する報道の人間がいる。全くの癒着。


発送電分離などで競争を導入する。しかも、発送電分離が主流。なぜ、河野太郎くらいしか発送電分離という政治家はいない。

古賀はここでまたさらに提言。消費者からすると電力料金は税金と一緒。なのに、コストの内容は秘密。電力会社は請求書一枚一枚開示すべき。 ところが、そうすると民間会社だと言い訳する。理不尽。


3部 当たり前のことが通用しない原子力国家日本、東電処理策の問題点 野田政権所信表明の中味のなさ


東電救済策とも揶揄される処理案だが、古賀は禍根を残すのではないかと危惧する。中国などが海洋汚染での賠償請求を準備している。現在の東電処理策だとういった一切合財の賠償金が政府にかかってくる。日本国家そのものの存続が危うくなる。政府もメディアも状況認識が甘い。

官僚は答えのない問題解決は苦手。過去問などを勉強して試験が得意な人たち。東電処理策も過去の類似事例(JALやチッソ)をずらあ~と並べて研究。「でも昔の例と違う」なると思考停止に陥る。

野田政権の所信表明  増税への道筋を見ているだけ。経済の真の問題が何なのかわかっていない。財務省もわかっていないのだろう。確かに予算の為に44兆円の赤字国債発行がある。税金20%上げれば一年分の赤字は消せても累積赤字が消えるわけじゃない。縮小していく経済をどうするのかが本当の問題。全くこの問題の解決策がない。

成長と財政再建を両立させるという抽象論のみ。中味がなさすぎ。

成長産業として、環境エネルギー・医療・農業というが、いずれも規制でがんじがらめの産業で、規制緩和の気配はない。なぜなら、電力会社、医師会、農協などが強い部門。に気を使い政治家が強い者に媚びて、結局は弱い者にしわ寄せするから。増税することが闘う政治家みたいにしているが、つまり弱い者にしかけた戦い。

行政改革も公務員制度改革も全くなし。笑えるの事業仕分けの「深化」。大失敗だったはずなのに、この「深化」というのは役人言葉。過去の過ちをみとめない典型的語彙。







関連では:現代ビジネスの「総力特集 原発マネーに群がった政治家・学者・マスコミこの国は電力会社に丸ごと買収されていた」 http://gendai.ismedia.jp/articles/print/4845

Monday, September 12, 2011

官僚とメディアが仕組む大臣更迭劇の裏側

歴史的な政権交代をしてから、民主党叩きが激しい。鉢呂大臣辞任のニュースには、日本を支配する「頭のない化け物」の高笑いが聞こえた気がした。


鳩山首相の普天間問題、菅首相の福島原発への対応など、民主党には試練続きだ。振り返れば、民主党の大勝となった2009年は戦後でも珍しいほどの初当選者の多い選挙だった。優に3分の1を超える衆議院議員が新人だ。さらに見ていくと、自民党そして民主党が公務員制度改革を声高に云い始めたのは、初当選率の上昇期と重なる。当選回数の多い大物議員が族議員として睨みを利かせ、党内をまとめ政策を通すかわりに各省に便宜を図らせるというあうんの呼吸の政治スタイルが消滅し始めた時期と重なる。経済的にも衰退し、歳入が苦しくなるなか、公務員制度改革と同時に財政改革も叫ばれるようになる。


政治家とのあうんの呼吸の二人三脚が無くなったことで、官僚の力は衰えるどころか、自らの権益を守る政治的代弁者がなくなったことで、前よりももっと露骨な形で情報操作・サボタージュに走るようになった。いわば、隠れていた日本政治の恥部が表にでてくるようになる。


それでもまだ自民党政権のあいだは多少の遠慮があった。なぜなら、政権交代は困るからだ。
とはいえ、記者クラブメディアとタッグを組み、不思議な大臣更迭劇を数々仕組むことで、時々の首相に圧力をかけてきた。 小泉首相は政治力学を巧妙に使うことで政権を運営したが、つづく政権はそうはいかなかった。これは首相の力量不足ともいえるが、経験の少ない議員の増加にも問題はあるだろう。


末期の自民党政権においても辞任続きの農水大臣は鬼門になり、最後は絆創膏大臣などと揶揄され赤城徳彦大臣が辞任。政治家としてランクが上で将来が有望視されていた中川昭一財務大臣は酩酊記者会見で辞任に追い込まれ、そして死亡に至る。中川大臣の話は、本来ならば、同行していた財務省の事務方が会見をキャンセルすれば済んだ話である。腰痛もちで鎮痛剤をもちいることもある中川氏が酩酊状態に陥ることは知られていた話であり、 日本の恥を世界に晒すのではなく、そのような事態を防ぐことこそが事務方の仕事だろう。ところが当時の日本のメディアにそういった論調は見られなかった。


自民党内閣に対してでさえ、背後から刺すようなことを平気で行った霞ヶ関だ。政権交代が起こると容赦も遠慮もなかった。まずは、政権交代が決まった2009年8月の選挙後に農水省などの事務次官らが苦虫を噛み潰したような顔で行った記者会見を思い起こして欲しい。「民主党政権に協力していくと」わざわざ事務方のトップが僭越にも記者会見する国が先進民主主義国のどこにあるだろうか?まだ明治元勲の時代だと思っているのか?そして、その片棒を担ぐ大手メディア。これらの記者会見がいかに異常なものなのかを報道せず、さも普通のことであるかのように国民に刷り込んだ。自民党長期政権下で自民党の権力者に近づき、官僚制と和気合いあいやってきた記者クラブにとって、政権交代など最初からまっぴらだったのだ。しかも、情報の透明化、会見のオープン化、クロスオーナシップの見直しなどという民主党政権なんて息の根をとめたくてウズウズしていたのだ。




鳩山内閣の掲げたマニフェストに従い、こども手当てを策定、天下りを禁じた長妻厚労相に対しての厚労省と記者クラブの攻撃はすさまじかった。


私見だが、在日外国人の海外居住の子弟への子供手当ての支給は、さも民主党の失策のように新聞であげつらわれたが、あれは厚生省の仕込みだと考えるのが妥当だろう。厚生省も他省も、特別会計のように自分らの財布のようにちょろまかすことができるお金の流れは大歓迎なのだが、子供手当てのように一般財源からそのまま国民の懐にながれる給付に対しては徹底抗戦をしかける。つまり、厚生省的には、年金や雇用保険は特別会計にながれるので大歓迎だ。大抵の場合、法律の文言に被保険者の福利向上関連事業への支出を許すことが書かれており、これを盾にグリーンピアだの、自分らが天下る外郭団体への支払いに回す。子供手当てはそういう旨い汁がない。しかも、財源捻出のために民主党では事業仕分けをするといっていたわけで、美味しい事業を廃止される危険があった。さらに、年金保険のいいかげんさについても長妻大臣はうるさく、とにかく抹殺せねばならない存在だった。


このような背景があるので、私は厚生省による恣意的なサボタージュとして、外国人子弟への子供手当て問題・スキャンダルがあった、とみている。子供手当て担当の局長は長妻大臣とやりあい、当然のことながら、そのサボタージュゆえに左遷された。おそらく、この局長その上司らは、こども手当て法案にわざと問題点をもたせ、それを自民党にリーク。自民党は丸川珠代に華を持たせるために、彼女にネタを提供し、彼女が国会で長妻大臣を追及した、というのが真相だろう。


長妻大臣寄りの記事を書いたのは日刊ゲンダイのみ。朝日などは露骨に厚生省の応援記事を書き、長妻氏がまるで異常者のように書きたてた。


ところが、こんな官僚と記者クラブの嘘がまんまと通るのが日本なのである。菅内閣で長妻氏は実質的に格下げされた。総務大臣として改革しようとした原口大臣も同じ運命だ。


結果として、まんまと頭のない化け物も思う壺だった。他の大臣らは萎縮し、首相も官僚のいいなりになる。信じがたいことだが、あの仙谷氏も最初は改革をちょっとは志向していたらしい。が、権力の臭いを嗅ぎ、あっさりと政策を切る。官僚と記者クラブと仲よくしていれば権力者のように扱ってもらえるからだ。(仙谷氏の転向については、経産省の改革派として辛酸を舐めた古賀氏の『日本中枢の崩壊』に詳しい。)


改革派の鉢呂大臣のクビを切るくらい簡単な話なのだ。河野太郎氏のブログによれば、鉢呂氏は、かなり大胆な人事を構想していたらしい。官僚が嫌うのが人事をいじられることだ。さらにこの場合は、原子力ムラも総出で鉢呂切りを応援したことは想像にかたくない。


鉢呂氏の首をいとも簡単に差し出した野田という政治家も所詮、仙谷らと変わらないのであろう。それとも、前原のスキャンダルを抑えてもらうこととの見返りで改革派の鉢呂を切ったのか。


日本の問題は、このような顔の見えない官僚制と記者クラブそして東電のような政治的企業が裏で全てを牛耳っていることにある。何回も書いてきたが、さながら頭のない化け物に支配されているのが日本という国なのだ。

Saturday, September 10, 2011

日本の失われた民主主義へのモメンタム:なぜ日本人は変わったのか?

日本では忘れられたしまった記憶だが、戦後、日本人の多くが民主主義を信じていた時代があった。今日は、日本で何が変わってしまったのかを分析してみたい。

1954年に第5福竜丸の乗組員たちが操業中にビキニ環礁で行われていたアメリカの極秘の原水爆実験により被爆した。2週間の航海を経て日本に辿り着いた乗組員の健康状態は優れず、一人は一年を待たずとして命を落とした。この事件は報道され、国民の知るところとなり、被爆した乗組員への同情と原水爆実験で汚染された魚など食料汚染への恐怖などに日本中が慄いた。 

そして、日本人は立ち上がった。主婦たちが各地で始めた反核のための署名運動は大きなうねりとなった。3000万人の日本人が署名した。当時の成人人口の7割だ。



2011年3月12日の福島第一で爆発事故の後、あまりにも福島県民らの健康に無頓着で、政府の『風評被害』キャンペーンに見事に乗った最近の日本人と大違いだ。1954年の日本と今の日本、何が変わってしまったのか。

まずは、以下のドキュメンタリー『3000万の署名、大国を揺るがす ~第五福竜丸が伝えた核の恐怖~ 【そのとき歴史が動いた】』をみていただきたい。






ドキュメンタリーにでてくる女性たちの言葉の中で、非常に強烈に訴えてくるものがある。
一つ目は、ことの発端となった最初の投書だ。この主婦は「仕方ないといいながら何もしない夫の無力な­諦めを私は軽蔑した」と書いた。多くの男達は今も昔も、諦めが早かったようだ。これを大人のものわかり、と思い込んでいたのであろう。ところが、この投書の妻は、夫の「大人の常識」が「無力な諦め」であることを見ぬき、そして「軽蔑」した。当時の日本の男尊女卑で、女は三歩下がってという社会状況を考えると、この女性がいかに、「無力な諦め」を「自分はしない」と決意したかの思いが伝わってくる。

二つめは、名前を書くことにいったいどんな意味があるのか?と問われたとき­のある女性の返事。、「黙っているよりはるかに効果があります。沈黙­は賛成を意味するからです。」

ドキュメンタリーを見ると良くわかるが、当時のお母さんたちは、戦争と敗戦という辛苦を生き延び、やっと戻ってきた幸せを、今度は簡単に手放すまい、男たちにだ け任せては置けない、と立ちあがったのだ。戦前も戦中も、女の意見なんて誰も耳を貸さなかったし、女たち自身も声を上げてもいいとも思わなかった。ところ が、戦後の民主主義は女性たちにも選挙権・被選挙権を与え、その市民としての権利を行使しようとした戦後の母たちの姿には感動を覚える。戦後一回目の選挙で、女性たちが老いも若きも大挙して投票所に足を運び、初めての一票を投じた。市川房枝など女性の議員も誕生した。そして、この普通の女性たちは一票を投じるだけでなく、民主主義とは黙って諦めないことだ、と学んでいた。

 
反核運動の大きなうねりは単に女性たちの力だけでは実現しえなかった。第五福竜丸の被爆事件のあと、普通のお母さんたちが立ち上がるが、その時、実は新聞というメディアが大きな役割を果たしている。当時の日本でメディ アといえばテレビではなく、新聞であった。(テレビの普及は東京オリンピック以降である。この当時はまだ民放テレビもなかった。)
新聞の投書欄へのある主婦の投書が発端になり、署名活動が始まる。いわば、投書欄がソーシャル・メディアとして機能した好例だといえる。 フェイスブックやTwitterと違い、新聞社の担当者が投書を選別しているわけだが、このときの日本の新聞(多分朝日であろう)では、反核運動につなが る投書を排斥するような ことをしなかった。むしろ、新聞の後押しで、草の根の運動が沸き起こり、労働組合をも巻き込んでいく。

なぜ、日本人は変わったのか、という問いに戻ろう。

こ の当時の日本は、ちょうどアメリカによる占領も終わり、それによりメディアの検閲も終わった時期である。右派左派の社会党が合同して、その勢いが増さんと する時代だった。当時の日本では社会党が農民の動員にも成功し始め、20世紀後半の日本が保守独裁体制になるとは誰も考えもしていなかった。保守合同による自民党の誕生と、冷戦という文脈の中でアメリカが日本の保守政党に本格的に梃入れし始める前の話である。


皮肉なことに、第5福竜丸被爆事件で盛りあった市民運動はアメリカ政府にとっては頭痛のタネとなり、アメリカが対日世論工作を強化する理由となる。

もともと占領期には完全な情報統制が布かれていたために、一般の日本国民は広島・長崎の原爆の被害についても詳しくは知らないほどであった。ところが、ちょうどアメリカのトルーマン大統領が国連で核の平和利用(”Atoms for Peace”)を訴えた翌年に、第五福竜丸の被爆、日本での反核運動の大規模動員がおこる。Atoms for Peaceへのリンクはここをクリック。

核の平和利用つまり、原発の普及は、アメリカにとっては軍事的に必要な、冷戦上の大きなコマの一つであった。原発を西側で普及さえることを重要視していたアメリカにとって、日本への原発導入を不可能にするような国民の核エネルギーななんとしても排斥せねばならなかった。

アメリカの要請に答えるかのように、日本国内にも、原発支持派、世論工作賛成派が存在していた。読売新聞の社主であり、日本の原子力の父と呼ばれる正力松太郎がこの典型だ。彼は、アメリカ政府の日本の世論工作を担うことで経済的利益(初の民放テレビ局の設置)と政治的利益(日本国総理の座)を狙っていた。彼が如何にCIAと協力して、日本国内の世論工作に読売新聞と日本テレビを活用したかについては、既に色々と紹介されている。(有馬哲夫の『原発・正力・CIA』 など。)

ここで重要なのは、戦後に普及したテレビというものが世論形成のためのツールとして、最初から意識されて導入されたこと。そして、これが日本に特別なことではなく、アメリカ国内でもそうであったこと。冷戦の構図の中では、単なる商品宣伝のみならず、国民が社会主義に傾倒しないようにするという政治的ミッションを帯びたものであったことだ。  


実際、読売の正力による世論工作は功を奏し、1950年代に高まった反核運動をいとも簡単に乗り越えて、日本は原発の国へと転身していく。

この日本の転身は、単にテレビによってもたらされたのではない。会社レベルでの労組の懐柔と、アメリカによる日本の保守政党への本格的支援なくしては起こりえなかった。

先述したように1950年代は日本の左翼政党の躍進の時代だった。左派社会党と右派社会党が合同した際に、財界が非常な危機感を持ち、財界の大物らに促されて、保守合同が起こり、1955年の自民党結党へと展開する。冷戦という文脈において、日本が左傾化しないことは、アメリカにとって非常に大切なことであり、米政府と自民党は密接な関係を結びながら、政治から左翼を排斥していく。1960年の選挙で社会党が農村で票を伸ばすと、自民党は農業の合理化政策を翻して、米価操作による農家への所得保障をすることで農村票を買収していく。選挙のあり方にせよ、自民党に都合のよいようにしていくわけだが、保守政権存続のためであれば、アメリカ政府も問題視しなかった。

アメリカのようにあからさまな赤狩りは行われなかったが、日本では地位やお金での買収による「静かな赤狩り」が着々と進んでいった。企業組合の指導者が管理職に昇進するパターンなどは地位と金による買収の好例だ。

1960年代末から1970年代に入っては、公害問題を始め、経済発展の 歪み、自民党の利益誘導政治への反感から、革新自治体が誕生し始める。中央政府からの交付金に依存する自治体は簡単に御することができた保守勢力も、潤沢な税収のある都市部の自治体には手を焼いた。東京都での美濃部知事誕生に対して、保守派は非常な危機感を持ち、TOKYO作戦という革新自治体の撲滅キャンペーンを張った。これも簡単にウィキピディアから紹介しよう。(TOKYO作戦についてはここをクリック。)

1974年田中角栄内閣当時、革新自治体に不快感を抱いていた自治省が企画し、5年ほどかけて大規模な革新自治体を潰していく作戦。T.O.K.Y.Oとは、T=東京都(美濃部亮吉知事)、O=大阪府(黒田了一知事)、K=京都府(蜷川虎三知事)、Y=横浜市(飛鳥田一雄市長)、O=沖縄県屋良朝苗知事)の5革新自治体であり、最終目標はその頂点に位置する東京都知事のポストを保守陣営が奪還することにあった。この時期、オイルショックスタグフレーションにより国も地方も財政が逼迫していたが、自治省は革新自治体に対してのみ批判的なキャンペーンを多くのマスコミを動員して行った。とくにサンケイ新聞は記事の行間に「行革に反対する議員を落選させよう」などのスローガンを挿入するなど、革新自治体批判の記事の多さや激しさで際立ったが、批判の嚆矢は1975年1月22日の朝日新聞の社説「行き詰まった東京都の財政」で、都が放漫財政を行って人件費を乱費した上、福祉予算を膨張させたために都財政が逼迫したと批判したことにあるといわれる。結果的にこのアンチ革新自治体のキャンペーンは国民に浸透し、自治省が企んだ「T.O.K.Y.O作戦」は1979年東京都知事選挙において、元内閣官房副長官鈴木俊一が革新陣営が擁立した総評議長の太田薫らを破り、都知事の座を保守陣営が奪還したことにより結実した。



つまり、 日本では冷戦という名のもとに似非民主主義が蔓延った。これはやはり冷戦下で民主化したイタリアも日本と全く同じである。


冷戦が終わる1980年代後半にはすでに保守政治家、官僚と準公的産業の結びつきが日本をしっかり牛耳っていた。議会政治は根付く間もなく形骸化されてしまっていたし、大体抵抗できる野党自体存在しなかった。この支配層は冷戦が終わったからといって、その権益を守る政治制度を変革するつもりはさらさらなかった。

それどころか、デタントの時代であった1980年代に日本社会の保守化が深化した。 このとき、保守派はどういう戦略をとったのか?私は、朝日などの「左派」メディア幹部の買収と暴力により脅しだったと見ている。


まず、金による買収から見ていこう。『現代ビジネス』のオンライン版に「最大のタブー:東電マネーと朝日新聞」という8月22日付けの記事がある。これをみると、ちょうど1980年代前半あたりに、東電が甘い汁を餌に大物朝日OBを買収し始めたことがわかる。ちょうど官僚の天下りのように、朝日幹部OBだ吸える汁にしておくことで、現役幹部の行動を制する戦略だ。日本の大組織は、往々にして、個人的な仕事の資質とは関係なく、組織内政治に長けている人が幹部に昇進する。こういう人たちにとっては長いものに巻かれるのはお手のものだ。しかも、甘い汁つきとなれば尚更だ。

さらに、日本ではテレビと新聞がクロスオーナーシップ(株の相互所有により強い結びつき)により系列化しており、東電を始め大広告主の意向に敏感である。1980年代には、テレビの神様とも呼ばれた日本テレビの高木社長らが、テレビ広告の売り方を変革した。これにより、今ではお馴染みのテレビCM市場が活性化するとともに視聴率至上主義が蔓延りはじめる。政治的な帰結としては、報道としてのテレビの劣化のみならず、クロスオーナーシップの新聞にまで及ぶ広告主の意向の影響力の増大だった。その影響力の行使には電通が元締めとして活躍する。そして、電通は自民党・政府の選挙キャンペーンと広告を仕切る、いわば保守の宣伝塔司令室でもあった。こういった体制が、中道左派の朝日新聞にとってはかなり手ごわいものであったことは明白だ。


さらに、日本の場合は暴力もあった。驚くべきことに、1980年代には朝日新聞社への襲撃事件が相次いだ。ウィキピディアからの引用を紹介すると (朝日新聞社への襲撃事件をクリック):


朝日新聞東京本社襲撃事件

1987年1月24日午後9時頃、朝日新聞東京本社の二階窓ガラスに散弾が二発撃ち込まれた。
その後、「日本民族独立義勇軍 別動 赤報隊 一同」を名乗って犯行声明が出された。声明には、「われわれは日本国内外にうごめく反日分子を処刑するために結成された実行部隊である 一月二十四日の朝日新聞社への行動はその一歩である」として、「反日世論を育成してきたマスコミには厳罰を加えなければならない」とあった。

朝日新聞阪神支局襲撃事件 

1987年5月3日憲法記念日、午後8時15分、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局に、散弾銃を持った男が侵入。2階編集室にいた29歳記者と42歳記者に向け発砲。29歳記者が翌5月4日に死亡(殉職により記者のまま次長待遇昇格)、42歳記者は右手の小指と薬指を失う。
5月6日時事通信社共同通信社の両社に、「赤報隊 一同」を名乗る犯行声明が届く。1月の朝日新聞東京本社銃撃も明らかにし、「われわれは本気である。すべての朝日社員に死刑を言いわたす」「反日分子には極刑あるのみである」と殺意をむき出しにした犯行声明であった。

朝日新聞名古屋本社社員寮襲撃事件

1987年9月14日午後6時45分ごろ、名古屋市東区新出来にある朝日新聞名古屋本社の単身寮が銃撃された。無人の居間兼食堂と西隣のマンション外壁に一発ずつ発砲した。
その後、「反日朝日は五十年前にかえれ」と戦後の民主主義体制への敵意を示す犯行声明文が送りつけられた。

朝日新聞静岡支局爆破未遂事件

1988年3月11日、静岡市追手町の朝日新聞静岡支局の駐車場に、何者かが時限発火装置付きのピース缶爆弾を仕掛けた。翌日、紙袋に入った爆弾が発見され、この事件は未遂に終わった。
犯行声明では「日本を愛する同志は 朝日 毎日 東京などの反日マスコミをできる方法で処罰していこう」と朝日新聞社だけでなく毎日新聞社中日新聞東京本社(東京新聞)も標的にする旨が記されていた。しかし、実際に毎日・中日の2社を対象とした事件はなかった。


イタリアでも全く同じような事態が発生していた。冷戦にかこつけて、カトリック教会を基軸に築かれたイタリアの中央政権レベルでの保守独裁体制も80年代に冷戦の終わりという危機に見舞われた。日本と同じように、暴力により権益の死守戦が起こる。少なくともイタリアではConstitutional Crisis=法治国家として根幹の危機であるという正しい理解がなされたし、大規模な抗議運動も起こった。日本では、新聞に対してのあからさまな暴力による言論鎮圧に対して、国民は沈黙を保った。

つまり、昭和という時代の終わりは、日本の民主主義が完敗することで閉じたのだ。

平成へと暦が開け、ベルリンの壁も崩壊したが、日本の民主主義の芽は摘まれたままになった。冷戦の終わりを契機に、やはり日本の議会政治を正常化させねばならない、と考えて政治家は存在した。金丸信もその一人である。あまり、公になっていないが、昭和から平成に代わった時点で自民党の中で日本の民主主義を巡る政治的な攻防があったのだ。金丸は国会対策のドンとして、日本の議会政治の嘘を誰よりも良く知っていた人物だ。日本を共産主義から守るという大義名分のものに良しとしてきた悪しき慣習も、共産主義の脅威がなくなった今、一掃すべきだと金丸は考えるにいたる。

この結果、金丸は政治資金法違反と脱税容疑で2回逮捕され、失脚する。このとき、金丸宅に金の延べ棒が隠されていた云々と大きく報道されたが、私が個人的に当時の金丸番の記者をしていた人物に聞いたところによると、報道で書かれていた金丸邸の間取りと実際は違ったという。おそらく政府側のリークどおりに記事にしたために実際とは違った点がでてきてしまったのであろう。

金丸が当時応援していたのは、日本にも米国のC‐SPANのような国会テレビ中継チャンネルをつくることで、議会内での議論を活発化させようという試みだった。ちょうどケーブルテレビ法案を準備していた郵政省も乗り気だったが、日本に真の民主主義が誕生しては困る既得権益組みが潰しにかかる。田中良紹は、政治家でこの先鋒にたったのが中曽根康弘だったと、その著書『裏支配』に書いている。

この当時の改革派と守旧派の攻防は、日本政治の縮図だ。経産省内での電力自由化派と電力会社・原発推進派の攻防と構図がそっくりである。日本国民にとって、悲しいことに、改革派はいつも敗れる運命にある。これは、改革派の闘う相手が、頭のない化け物だからだ。

こうしてみていくと、大改革を掲げて政権交代を果たした民主党が敢え無く自民党化していっているのも、単に民主党のリーダー達の力不足とはいえないことを意味している。 戦後日本で育った頭のない化け物は、選挙や政権交代なんていう甘ちょろいことでは退治できないのである。それこそ、大物政治家、経済人、言論界が命をかけて闘わねばならない。その心意気のあり、力量のあるリーダーたちが果たして今日の日本に存在するのかどうかに全てがかかっている。