Wednesday, May 2, 2012

米中の蜜月と日本のお目出度さ:「盲目の人権活動家」陳光誠を巡る両国政府の対応


ここ数日のニュースで非常に重要なのは、盲目の人権活動家」陳光誠を巡る米中政府の駆け引きのニュースだ。これは米中両国の関係がどの程度深化しているのかを計る絶好の機会だ。

中国山東省で軟禁されていた陳光誠氏は28日迄に、軟禁先から脱出し、支持者らに助けられながら北京の米国大使館に保護を求めた。これを受けて、クリントン国務長官の訪米を目前に、大きな外交問題に発展することは避けられないと心配されていた。ところが、いともあっさりと解決。 保護から6日にして、陳氏が米国大使館を離れ、北京内の病院に入院することで外交問題としての事態は一応終結した。昔,類似のケースが大きな外交問題になり解決策が練られるのに一年ほどかかり、その間活動家が米国大使館内で暮らしたことを考えるとこのスピードは異例だ。

詳しくは後述するが、今回の問題解決を見ると、 米国政府がどれだけ中国政府に譲歩しているのかが良くわかる。執行部の交代時期の中国をなるべく刺激せず、良好な関係を保とうとするオバマ政権の姿勢が現れている。

野田首相の訪米中のオバマ政権の日本政府に対する無下な対応と比較すると非常に興味深い。今日は、米中の蜜月と日本の政府もさながら、日本のマスコミの劣化ぶりにも触れたい。

米中政府の関係はかつてないほど親密だ。これはオバマ政権云々ということではなく、「構造的な背景」がある。両国間は、経済的な繋がりにも増して、人的な繋がりが非常に増しているのである。共産党の執行部などエリート層の子女の非常に大きい割合(4割といわれている)はアメリカ在住だ。そして、その孫たちになるとさらに9割が在米であると云われている。パターンとしては、まず子女を留学させ、賄賂などで蓄財した富を海外に送金する、あるいは賄賂を海外在住の子弟に直接送金して貰う。リーダー層は多かれ少なかれ似たような手段を使っているようだ。理由は簡単。中国は表向きには共産主義を掲げており、私的財産への保障がしっかり確立していない。しかも、部分的に緩和されたとは云え,一人っ子政策もある。子女と資産を海外に出すことで、これらの中国内の問題から逃れる事ができる。 失脚した中国重慶市の薄煕来(ボーシーライ)前市党委書記もこのパターンだ。まずは、息子をイギリスの名門高校、オックスフォード大学、そしてアメリカのハーバードの修士課程に留学させ、膨大な額(800億円相当との報道もある)のドル送金をした。

つまり、裏返すと米国政府は中国の要人の子女と財産を人質に取っているいるようなものだ。次の国家主席といわれる習 近平(シー・ジンピン)の一人娘もハーバード大学に留学中だ。これでは米中関係が良好になるわけである。

私が直接に話を聞く機会のあった米国務省の高官も、東アジアは非常に安定している、中国政府は非常に大国としての責任感を持っていると手放しで中国を褒めていた。一方、日本のことになると「政治が悪い」と苦虫を噛み潰したような表情だった。しかも、普天間の話になると、「去年,日本が思いやり予算を更新したことは評価するが、別に日本の基地に固執する気はない」と、総じて日本への興味が薄れている印象を受けた。

覇権国としての総力が落ちている米国にとって、中国との協調と構造的な利益の共有はまさに願ったりかなったりの状況だろう。

こういった米中関係を背景に、では日本はどうするのか?

全くこの辺が見えてこないのが、日本政府とメディアのだらしなさと云える。 呆れたことに、ここで説明したような人権活動家の陳氏をめぐる駆け引きについても、日本の大新聞は非常に出遅れた。

ちょっと考えれば、このニュ−スが日本にとってどれだけ重要なものであるかは簡単にわかるものなのに、紙面はもっぱら、 野田総理の訪米のニュースとイケメンなんとかという俳優の三角関係のニュースで一杯だった。

特に、日米首脳声明で、日米関係の大切さが再認識されたと有頂天の野田総理と大新聞の提灯記事のお目出度さには驚く。

今回の訪米で、日本の首相は、 これまでになく冷たいあしらいを受けた。外交というのは非常に形式にこだわるものだ。通常、両国のカウンターパートは同じランクの者同士だ。ワシントンでの歓迎晩餐会には本来のカウンターパートであるオバマ大統領は出席せず、「格下の」国務長官のヒラリー・クリントン氏が代役でホスト役を務めた。ところが、このクリントン長官も中国訪問を控えて多忙である為に、晩餐会を早めに後ろにした。

これでは、いくら共同文章で米同盟を「アジア太平洋地域における平和、安全保障、安定の礎」と位置づけようが、日米両国が「アジアと世界の平和、繁栄、安全保障」に向けて「あらゆる能力を駆使」し、その「役割と責任を果たす」と宣言しようが、虚しく響くだけだ。
陳氏が米国大使館を離れ,病院に入院した経緯についても、朝日・読売といった大新聞の報道の劣化が目立った。まず、日本の新聞は、陳氏が米国大使館で保護されたことを受け,今迄の類似のケースと同じ様に病気治療という理由で米国に出国することになる、と横並びの予測報道。しかも独自の取材ではなく、情報源は海外の報道機関だったようだ。産経は香港紙をネタに、朝日はロイターの配信をネタに記事を翻訳・貼付け記事を発表。 読売はそっくりな記事をネタを明かさず掲載。

産経の記事はココをクリック。 朝日の記事はココをクリック。 読売の記事はココをクリック。


毎日だけが日本時間の5月2日の次点で、在中国の特派員発で一番早く正しい報道をしていた。これもまた海外報道機関の配信内容も交えてだが、同じ配信をみていたであろう読売・朝日特派員よりいち早く日本語で報道した点は評価できる 。5月2日時点で、今回の米中両政府の交渉過程に踏み込んだのはオンラインで見る限り、毎日が早かった。此の記事を読んでいただければわかるが、人権、人権という米国だが、クリントン国務長官の訪中を前に、カート・キャンベル国務省次官補を中国に送り込み、問題解決を計かれせた。その結果が、昨日の展開へとつながった。米国は陳氏の身の安全と引き換えに、中国に譲歩し、渡米を求める陳氏を却下し、家族の身の危険という脅しを含む中国側の意向を陳氏に伝え、陳氏がしぶしぶ米国大使館を後にした、のが真相のようだ。オンラインの毎日の記事の内容は、ちょうど同じ時刻に米国内で配信されたニュースを同じ内容のものだ。毎日の記事はココをクリック。

日本という国は米国に依存している時代にもきちんと米国を研究せずに来た。恐ろしい事に、頼みの米国に疎んじられるようになってもまだ米国を研究しきれていないようだ。



Saturday, April 21, 2012

東電 MIT トリウム の不思議な繋がり


久しぶりのブログの再開だ。今日のテーマは、東電、MIT、国防、軽水炉ビジネスとトリウムの関係。知り合いの研究者とのひょんな会話が気になり、家に帰ってからMITの二人の教授について調べて見ると面白いことが色々見えてきた。。

話の発端:東電による米国有名大学MITでの寄附講座

昨日、MITTepco Professorというポストがあるのを聞きつけ、調べてみると二人いることが判明。MITマサチューセッツ州ケンブリッジ市にある私立大学マサチューセッツ工科大学の略。昔から米国の国務省など国防・軍事関係の研究資金が多く投資された大学である。 

このTepco Professor、日本で寄附講座と呼ばれるものと同じかは、私にはよく日本の大学事情がわからないので、遠回りになるが説明しておきたい。(説明が不要な方は読み飛ばしてください。)

アメリカの大学には、外部寄付により通常のポストよりも多額のリソースが付与された教授職がある。例えば、アップルのスティーブ・ジョッブスの寄付で出来たものならば、「東大スティーブンジョブス機械工学教授浦島太郎」あるいは「アップル機械工学教授浦島太郎」などという肩書きになる。こういったChairを作るのにどれくらい金額がかかるかは、分野によっても異なるだろうが、私がハーバードの大学院生だった1990年代初頭には、社会科学系で3億円ほどだった。この3億円を元本に毎年の収益から特定の教員の給与の全てあるいは一部、及び研究費を賄うことになる。研究費が膨大にかかる工学系だともっと多額の寄付が必要かもしれない。いずれにせよ、留意点は、収益を使うので寄付する元手がかなり多額になることだ。

東電はMITに二回大きい寄付をしてTepco  Professorができた。まずは1993年に環境研究の分野で、続いて2000年に原子炉の研究でもう一つ1993年にTepco Professorに就任したのは、温暖化研究の専門家のロナルド・プリン教授、2000年に新しくもう一つできたTepco Professorとなったのがエジプト出身の原子力エンジニアでムジド・カジミ教授。ご両人とも現在でもTepco Professor現職。(両教授の就任につての情報は、MITの以下のウェブサイトで確認 http://web.mit.edu/press/2000/tepco-0503.htmlまずは、原子力村らしい、非常に計算された分野の選択と人選に感心。

日米原子力村の環境研究支援:地球温暖化の救世主としての原発

プリン教授は地球温暖化問題では大御所。地球温暖化の解決策として「クリーンな原発」を売り込みたい国際原子力村が早くから環境研究に食い込もうとしていたことは当然だろう。東電が1993年に「温暖化研究枠」で寄付したことから、アメリカの原子力村はもっと早くから資金投入をしていたことは想像にかたくない。プリン教授は2007年に大気中のメタンガスが急上昇していると発表し、研究成果は国際的に報道された。最近では風力発電が大気の気温を上昇させるという研究成果も発表している。代替エネルギー支持があまり活発になってもらいたくない原子力村には有難い研究だ。

日米原子力村の軽水炉で燃やせるトリウムへの過剰な夢
 
もう一つの2000年に新しく創設された「東電教授」のカジミ教授の研究領域は、より安全な原子炉の設計と使用済み燃料に含有されるプルトニウムをの総量を如何に減らすか、というもの。しかも、いかに経済的な原子炉を造るかを題目に掲げている。これはまさに、日米の原子力村にとっては核心の研究分野だ。

原発はクリーンでエコどころか、燃費は悪く、しかも使用済み燃料という大量の放射性のゴミをつくりだす。このゴミはプルトニウムを多く含有し、核兵器の材料に利用することができる。今現在、日本の原発は止まっているが、もしも全基を再稼動させるとまもなく非常に危険な使用済み燃料の置き場所が無くなってしまう。もともと軍事的理由でプルトニウムを生み出すことで選ばれたウラン燃料を使った原発だが、今ではそれが世界の原子炉ビジネスの足かせとなってしまった。しかも、核エネルギーを推進した張本人の米国にとっても、プルトニウムの拡散は頭の痛い問題となってしまっている。福島原発事故で茶の間でもお馴染みになったIACEは、軍事転用されないように世界にあるプルトニウムを見張る機関である。何とか、プルトニウムをあまり生まない、そしてすでに存在するプルトニウムを減らすような原子炉は造れないか、というのが原子力村の願いだ。でないと商売続行が不可能になる。実際、先進国にはコスト高の原発をやめてしまう国も出てきた。

日本ではプルトニウムを燃料として再利用できる高速増殖炉を開発して核のリサイクルをするという国策ができたが、そうして出来た「もんじゅ」は事故を起こしてから動いていない。2004年ごろには経産省の若手が「19兆円の請求書」という内部告発書を作成し、この国策の無理・ムダを国民の目に晒そうとしたが、原子力村に封じ込められた。「19兆円の請求書」はここをクリックするとダウンロードできます。

こんなどん詰まり状況で期待されているのがトリウムという天然放射性物質だ。トリウムはウランと異なり、燃してもプルト二ウムをほとんど発生させないという触れ込みだ。政治的な理由でなかなかウランの輸入が許されなかったインドなどは早くからトリウムを使用する原子炉開発に着手していた。日米原子力村が開発し、建設してきた軽水炉ではなく、溶解塩炉などを使った研究が進んでいたが、カジミ教授が研究するのはまさに、日米が推進する軽水炉でトリウムを使う方式だ。

2009年の日経ビジネス、オバマ政権がトリウムを使った原発に梃入れしているという記事が掲載されている。http://eco.nikkeibp.co.jp/article/column/20090805/101975/?P=1 この記事では日本が取り残されていると書かれているが、東電は2000年からカジミ教授のトリウム研究に投資していたわけだ。

より安全で、安く、軍事転用ができないというのが触れ込みのトリウムは原発推進派の夢でもある。原子力ルネッサンスを担う立役者がトリウムだ。でも果たして本当だろうか? 私は専門家ではないので、原発推進国である英国の国立原子力研究所(National Nuclear Laboratory)で2010年8月に発表されたThorium Cycle Position Paperというリポートをダウンロードして読んでみた。驚くべきことに原発推進国の英国でさえ、リポートでトリウムによってプルトニウムの総量や放射性物質の危険度はそんなに変らないことを明記している。トリウムを燃すにはウランやプルトニウムを混ぜねばならず、原発推進派が願うような効果はあまり期待できないという内容だ。

日米原子力村と東電

米国のジェネラル・エレクトリック社と日立は提携、東芝は元米国のウェスティンハウスを買収し、原子炉ビジネスにコミットしている。興味深いのはこれらの原子炉メーカーの研究開発費までを肩代わりするような東電のMITへの寄付だ。如何に東電が日米の軍事・エネルギー政策・商売に関わっているかの象徴の一つだ。これゆえに経産省内の電力自由化の目は摘まれた。地域独占を維持することで国際的にも高い公共料金を維持し、それを電力とか全く違う目的に流用する不思議な体制が日本には存在する。米国であれば、軍事関連研究費として支出されるものが日本では国民の目に触れないように粉飾決算となっているわけだ。この辺に日本の権力構造の闇が隠されているのではないか? 米国の軍事産業と政治の繋がりについては民主主義に反するものだと考えるアメリカ国民も多くいるが、軍事問題が政治の最重要案件として受け入れられている米国と比べると日本の民主主義度はさらに低い。「平和憲法イコール民主的な政治」ではないことは日本の現状を象徴しているようだ。

こうして見て行くと、脱原発を言い出した菅首相が官邸を追われ、その後就任した野田首相をオバマ大統領が持ち上げ、その野田首相が再稼動を慌てるのも、なぜであるかわかる気がする。この辺はまたの機会に続けたい。


付記

カジミ教授は福島原発事故の教訓として、如何に原子炉が安全にちゃんと計画通りシャットダウンしたか、これを契機に原子炉がより安全になるだろうと、楽観的な点ばかりを強調している人物でもある。彼が昨年の7月26日に発表したスライドをみるには、ここをクリック。カジミ教授のMITのホームページはこちら


プリン教授のMITのホームページはこちら地球温暖化などについて研究・発表しているが、日本語で報道されている内容もある。  

「山積する温暖化防止の課題」フォーリン・アフェアーズ誌はこちら

大気中のメタン濃度、2007年に再び上昇:MIT報告」はこちら

風力発電のタービンが大気中の気温を高めるとの報告」はこちら

Saturday, January 7, 2012

東証、東電、オリンパス



読売新聞の1月7日付けのオンライン版の記事によると、東証はオリンパスを上場廃止にするつもりはないようだ。 理由は「虚偽記載の内容は重大だが、影響は限定的」だということだそうだ。長期にわたった組織的で非常に悪質な虚偽だったにもかかわらずだ。どう考えても、ライブドアよりずっと悪質だといえる。そして、気になるのが東証の判断基準だ。記事によれば、「上場廃止になれば、現在の株主が過大な責任を負う」(幹部)との判断があったという。ライブドアの上場廃止を決めた際に東証は「組織的に行なった点で上場会社としての適格性を強く疑わざるを得ない。投資者の証券市場に対する信頼を著しく毀損するものであると認められる」とコメントしたことと整合性がとれない。

ちなみにオリンパスとライブドアが誤魔化した額を比べると、オリンパスが過去の損失隠しに用いた費用は最大1348億円 (産経の記事による)、ライブドアが虚偽記載をしたといわれたのは50億円以下の額。しかも、オリンパスは非常に手の込んだインチキの企業買収劇を繰り返し、損失補てんのための額を捻出しようとする、いわば幾重もの虚偽のオンパレードだ。これこそ、「虚偽のデパート」と呼んでももいいくらいだ。

東証の基準の違いだが、裏にもう一つの本当の基準があると仮定すると、実は非常に整合性があることがわかる。株主にも貴賎上下の差別があるのだ。

ライブドアは小口の一般株主あるいはただの成り上がり者の堀江氏所有の株だったら、上場廃止で紙切れになってもいいが、オリンパスのように大株主が日本のエリート企業の場合は「株主が過大な責任を負うことになる」と¥困るのだ。

オリンパス筆頭株主の生命会社などはそれこそ人様の金を預かり投資していた金融会社なのだから、それこそ大株主としてしっかりオリンパスの経営陣を見張る責務があっただろう。その義務を怠っても、最悪の状況からは尻拭いして貰えるのが日本の(そして特に規制産業の)巨大企業だ。

挙句の果ては、経営陣が組織ぐるみで行った虚偽を明るみにだした前社長が悪者にされるという前代見物のストーリーだ。 国際的にも日本の企業のガバナンス問題として大きく注目されたにも係らず、ウッドフォード前社長を「非行」を理由に報酬減額処分にするというおまけつきだ。日本では正直者が馬鹿をみて、上を見て言われたとおり犯罪に手を染めるものが出世するわけだ。

オリンパスの「上場廃止なし」と、債権者の銀行も含めて丸抱えの東電の救済策とそっくりではないか。東電も大事故を起こしたが、政府はさも「影響は限定的」といわんばかりだ。福島第一の放射性物質で使い物にならなくなったゴルフコースも、東電のせいじゃない、危ない高線量地域から「自主避難」したら東電のせいじゃない。東電と利益共有する東芝・日立、ゼネコン、メディアは事故後も除染やら、お詫び広告でたんまり設けている。しかし、農地そして家畜を汚染された農家や酪農家は、国民に汚染された食品を消費してもらわないと経営が成り立たない。

つまり、株主に貴賎上下があるように、国民にも貴賎上下があり、賎しい一般国民は政府が引き上げた放射能基準に基づいて暮らし、東電に言われたように、(例え理由なく計画停電などイカサマをされても)有難く電気料金を払い、さらに東電の不始末の尻拭いに税金を上げられても、大人しく従うしかないのである。放射能は怖いと「放射脳」と蔑まれ、汚染された瓦礫を受け入れたくないというと非国民扱い。

大企業と利益共有する大企業は何をしても守って貰える。そして、それ以外の国民は黙って言われたとおり税金を納め、下らないテレビ番組でも見ていればいい、というのが今の日本の統治構造なのである。


オリンパス上場維持へ東証、違約金求める方向

東京証券取引所は、有価証券報告書に虚偽の記載をしていたオリンパスの株式について、上場を維持する方向で調整に入った。月内にも最終決定する。
 損失隠しが10年以上にわたるなど、オリンパスの社内体制に問題があることを投資家に周知した上で、違約金の支払いを求める方向で検討している。
 東証で、企業の上場審査や市場の監視を行っている「自主規制法人」が、オリンパス経営陣など関係者からの聞き取り調査をほぼ終えた。月内にも臨時 理事会を開き、上場維持を最終決定する。「上場廃止になれば、現在の株主が過大な責任を負う」(幹部)との判断もあるとみられる。
 だが、株式上場のルールを破って市場の信頼を傷つけたとして「上場契約違約金」1000万円の支払いを求めるほか、社内の管理体制や情報開示に問 題があることを投資家に知らせる「特設注意市場銘柄」にも指定する方向で検討している。特設注意市場銘柄に指定された場合、オリンパスは3年以内に社内の 管理体制などを改善しなければ、上場廃止となる。東証の調査では、損失隠しは一部経営陣だけで、極秘に行われた。損失隠しを行わなくても債務超過には陥っ ておらず、増資などを狙って株価を意図的につり上げてはいないことなどを確認している。東証は、「虚偽記載の内容は重大だが、影響は限定的」(同)とし て、現段階での上場廃止には当たらないとみている模様だ。
(2012年1月8日03時11分  読売新聞)リンクはここ

東証がライブドアを上場廃止にした際の理由は

東証は13日、ライブドアとライブドアマーケティングの株式を上場廃止することを決定した。両株式は3月14日から4月13日にかけて整理ポストに移管された後、上場廃止になる。

ライブドアとライブドアマーケティングの容疑について東証では「組織的に行なった点で上場会社としての適格性を強く疑わざるを得ない。投資者の証券市場に対する信頼を著しく毀損するものであると認められる」とコメントしている。


なお、ライブドアでは今回の告発について容疑内容を公開した。容疑は、2003年10月1日~2006年9月30日の連結会計年度に、本来であ れば3億1,278万円の経常損失が発生していたにも関わらず、売上計上に認められないライブドア株式売却益37億6,699万円や、ロイヤル信販と キューズ・ネットに対する架空売上15億8,000万円を計上するなどして連結経常利益を50億3,421万円と虚偽の記載を行なったというもの。引用のソース記事の リンクは
ここ






年が明けて

日本が置かれている現状を前に、めでたいとい気持ちにはなれない2012年の幕明けだった。日本はどうなるのだろう、というのが31日に就寝する際に頭に浮かび、1日に目が覚めてもやはり頭にこびりついたままだった。

元旦早々の地震、地震が原因とみられる福島第一4号機使用済み燃料プールの水位低下は、野田政権の「冷却状態」の達成、「第2ステップ収束」という広報以外の意味を持たない言葉の欺瞞を白日にさらした。

内閣官房参与を抗議の辞任をした、東京大学教授小佐古敏荘(こさこ・としそう)氏が5月に米紙ウォールストリートジャーナルのインタビューで話した通り、秋の収穫を迎え食糧汚染の深刻さがわかってきた。とはいえ、政府が少ないサンプルでの食品検査しかしていない以上、実際の汚染状況を過小評価している可能性があることは否めない。また、放射性物資はセシウムだけではないにもかかわらず、政府も大手報道機関も国民を啓蒙することはせず、ひたすら通常の生活を続けさせることに重きを置いている。

12月には東京に数日間戻り、友人・知人とも再会を果たした。街を歩きながら不思議だったのは、あまりにも皆普通にしていることだった。一方でガイガーカウンターでは事故前よりも高い数値がピッピとはじき出される。福島原発事故による放射線被害を心配する人たちのことを「放射脳」と揶揄するのは、すでにTwitterなどで見て知ってはいた。

何事もなくクリスマスセールをエンジョイする幸せそうな人々の様子をみると、自分と家族にとって重大な情報に対しても受動的な彼らを責める気には到底なれない。子育て、仕事、住宅ローン、長時間の勤務・通勤をしていれば、新聞の見出しを信じる方が効率的に違いない。

そして、新聞社やテレビ局の人間もその大半はやはり「なんとかなる」と楽観視しているに違いない。(とはいえ、自分らは原発の50キロ圏外逃げておきながら、枝野元官房長官の嘘の片棒を担いだ罪はいずれ国際的にも断罪されるであろう。)

だとしても、どうしても引っかかるのが、なぜ自分の頭でモノを考えようとしないのか、という点だ。日本人はかねてから、食品の安全などには神経質な国民だ。この点ではドイツ人に似ているともいえる。ところが、どうしてドイツと日本ではここまでも福島原発事故後の反応が違うのか?もちろん、日本には大きな原発利権が存在し、メディアと政治を牛耳っている。ドイツではSiemensが原発に関わっていたとはいえ、東電のようにメディアと政治を操っているわけではない。こういう構造的な違いはもちろん重要だが、なぜ国民の大多数がエックス線を浴びてはいけない妊婦が、福島原発の放射線だと浴びても大丈夫なのか、という矛盾を無視できるのか?この思考停止は何からくるのか?

福島原発事故のあとのプロパガンダの一つに、(正確には記憶していないが)線量が高くなっても東京だったら、一日の線量が胸部レントゲンを一回浴びる程度であるなど 、やたらレントゲンの例が使われた。じゃあ、どうしてレントゲンのときのように若い女性だったら腹部に鉛のエプロンをしなくてもいいのか?妊婦は浴びちゃまずいじゃない、とすぐに頭に浮かんだが、誰も指摘しなかった。

 「まるで一億夢遊病状態だ」と、東京の人たちを見て思った。

Monday, November 28, 2011

Japan’s Complacent Media and the Myth of Cultural Uniqueness



Michael Woodford, the former British CEO of Olympus is back in Tokyo to meet with the Olympus board members.  While in Tokyo, he gave a press conference at the Foreign Correspondents’ Club.  When a journalist asked him why he had not gone to the Japanese authorities when he first learned about potential wrongdoings by his predecessors, Woodford answered with a rhetorical question: Does anyone the room believe that such action would have been effective?  The Olympus saga raises grave concerns not only about corporate governance but the transparency of any large Japanese organization. 

The most interesting aspect of the Olympus saga has been the reaction of the Japanese mainstream press.  Their first coverage of Woodford’s dismissal was to repeat verbatim the Olympus’s official announcement:  Woodford was a foreigner who didn’t understand Japanese culture and proved dysfunctional.  Even after various British and American newspapers published detailed stories, Japan’s mainstream newspapers did little more than summarize foreign news coverage.  It was only after the free fall of Olympus stock price that they started following the story more earnestly.

The silence of Japanese mainstream papers is especially surprising, because a Japanese monthly magazine, FACTA, first broke the story of accounting irregularities in Olympus’ M&A deals back in July.   Since the writer of the FACTA article was a former journalist for Nikkei, a major business paper, the question arises why mainstream newspaper journalists have been so reticent to pursue this story. 

The answer has a lot to do with the structure of the media in Japan.  Japanese newspapers have a strong incentive to underplay stories that reflect badly on those corporate clients who buy their advertisement slots.  In all countries, businesses exert financial pressure on newspapers.  But when there is competition in the market and in politics, it creates space for a free press and lively debate.  In Japan, the lack of any such competition makes financial pressure on newspapers much more insidious.  Unlike in the US or UK, there are no independently owned national newspapers.  In Japan, a handful of national papers and TV networks own one another and form very close-knit media conglomerates.  TV networks, whose main revenue source is advertisement, are even more vulnerable to corporate pressure.  Moreover, a mammoth advertisement company controls a large bulk of the flow of advertisement money in Japan.  TV networks depend on advertisement companies for their revenue.  This vulnerability feeds through to the major newspapers that own the TV networks. 

As far as the Olympus case goes, Nikkei and Asahi were visibly less critical of Olympus in their coverage.  Not surprisingly, Nikkei and Asahi, received more advertisement contracts from Olympus than other papers.  Nikkei received the most amount of ads from Olympus, and Asahi came second.  Asahi also benefited from Olympus sponsoring of one of the TV programs in TV Asahi.  I hasten to add that Nikkei was the only paper that printed an exclusive and defensive interview with Olympus chairman Kikukawa, who hired and fired Woodford. 

The complacency of the media produces grave consequences for Japan well beyond the Olympus saga.  It has hindered debate about the causes and consequences of the Fukushima nuclear accident.  Journalists from the mainstream press hardly question Tepco—the owner of the crippled nuclear power plant despite its record of concealing accidents and inconvenient data.  Immediately after the accident, Tepco announced that they would be taking out advertisements in all major newspapers to apologize for the accident.  Tepco, which has a regional monopoly and no need for advertisement, has one of the biggest advertising budgets. 

The complacency of the press undermines Japanese democracy.  The combination of the ownership structure of media conglomerates and collusion of interests within the corporate sector makes Japan a society where consent is easily manufactured and dissent suppressed.  The press often uses ‘Japanese virtues’ and ‘Japan’s cultural uniqueness’ to cover up these facts.  It is not Japanese to disagree or challenge the authorities, the story goes. The ruling Democratic Party of Japan (DPJ) was aware of some of these problems when in opposition.  It had vowed to end the debate-stifling cross-ownership structure of the Japanese media.  When they finally came to power in 2009, the time seemed ripe to democratize the Japanese media.  Unfortunately, after facing a very hostile press, the DPJ government quickly caved in. 

The Fukushima Accident has, however, had one silver lining.  It has pushed some Japanese newspapers and companies to fight back.  More citizens have begun to realize that much of the press coverage has been mere PR rather than journalism.  This has created an opening for some newspapers to challenge the market share of the two largest national papers.  Japanese language editions of foreign press are also increasing the competition in the information market in Japan as evidenced in the recent Olympus saga.  Only by destroying the cozy relationship in Japan between the press and powerful organizations is there any hope of building a free, safe and prosperous society.

Thursday, October 20, 2011

日本の病理:日経新聞も日本生命もオリンパスと変わらない

今回のオリンパスの不明瞭な買収劇は世界的に注目を浴びるような事件に発展しつつある。10月20日米国東部時間午前10:17のロイターの配信によると、オリンパス前社長のウッドフォード氏は新たな事実関係を掴み、それを英国のSFO(Serious Fraud Office 国際的犯罪などを担当する重大不正捜査局)に提出。SFOは、ウッドフォード氏に身辺警護の必要などについて警察に問い合わせるよう勧め、前社長は警察に相談中とのこと。警察の保護が必要になっているということは、「反社会的組織」の関連を裏付けるような情報があるということであろう。日本では株主総会といえば総会屋の活躍の場であったが、総会屋の締め出しが厳しくなるとともに、手口が変わっていったことと今回の買収劇にも関連があるのかもしれない。

ウッドフォード氏出身の英国ではファイナンシャルタイムズ紙が積極的に報道しているのみならず、テレビのチャンネル4のジョン・スノーのニュース番組にも前社長が登場して、インタビューを受けるなど、大きく報道されている。米国でもウォールストリート紙といったビジネス紙そして一般紙のニューヨークタイムズ紙も大きく取り上げている。日本の一企業ということを超え、日本のコーポレートガバナンスの問題として取り上げられている。日本の大企業全体の信頼に関わる問題に進展しかねない。

英国のチャンネル4でウッドフォード氏がはっきり言明した一点は重要だ。彼は「私は日本が大好きだ。日本人の多くなまともな不正を行わない人たちなんです。だからこそ、私は取締役たちの言動に大きな戸惑いを感じるのです。日本には沢山の美徳があるけれど、西洋的なのも(透明性という意味)を少し取り入れることで日本自体も得るものが非常に多いのではないかと思う」と。良心のある日本人らがこれを肝に銘じて、闘う必要があるのではないか?ちょっと考えれば、透明性が西洋的なもの、なんていわれること自体が恥ずかしいことではないか。

透明性を妨げるものは、「日本人」でも「日本の誤った美徳」でもなく、情報や権力を握る一部の日本人の「私欲」以外の何ものでもない。これを「日本の組織風土」などといって、大衆を洗脳してきたのだから許しがたい。 今日のブログではこの洗脳の先頭に立ってきた日本のメディア、そして、能力のない経営陣に甘い大株主としての生命保険に焦点をあてたい。特に今回のオリンパス騒動に関しては、日経がもっとも関係ありそうなので日経に焦点をあてるが、オリンパスや東電が「日本の病理」の象徴の一つにすぎないように、また日経も「病理」の一つにすぎない。朝日や読売もまったくしかりだ。

そもそも今回のオリンパスの不明瞭なカネの流れを指摘したのは月刊誌FACTAの8月号だ。しかもFACTAは、6月にオリンパスにも公開質問状を出したり、積極的に問題を顕在化させようとしてきた。ここで非常に大切なポイントは、FACTAの発行人の阿部重夫氏もスクープを抜いた山口氏も両氏とも元日経新聞の記者だという点だ。山口氏は日本公社債研究所(現格付投資情報センター)アナリスト、日本経済新聞証券部記者を経た株式関連のプロのジャーナリストだ。

ここで浮かぶ疑問点は三つ。一つ目は、なぜ現役の日経新聞記者らにはスクープ記事どころか後追い記事さえも書くことができなかったのか?二つ目は、なぜ、日本の証券アナリスト達は山口氏のようにオリンパスの買収の不自然さを指摘しなかったのか?三つ目は、なぜ、日本生命のような大口株主が大きな損失を出した買収に疑義を挟まないどころか、FACTAのスクープ以降も何も言わなかったのか。

日経新聞とオリンパスの関係
10月19日つけのFACTAオンラインは(リンク)、日経がオリンパスの菊川会長をかばっている節があることに言及している。
フィナンシャルタイムズ(FT)やウォールストリート・ジャーナル(WSJ)、ニューヨークタイムズなどで、菊川会長らの嘘が暴かれ始めた。前社長 に企業不正を暴かれそうになって、解任の強硬手段に踏み切ったというのが真相だと。自力で調べる気のない日本のメディアまでそれを引用しだしたから、オリ ンパスの株価は炎上した。
形勢不利とみた菊川氏は、頼みの綱の日経にすがる。18日夕刊の「海外買収の手数料、適正」という菊川氏の反論記事を独占掲載したのがそれだ。虫唾が走るような「御用新聞」根性ではないか。まさか、10月24~25日に開く日経フォーラム世界経営者会議に菊川氏が講師として出席するので、かばおうとしているなんてことがあるとは思いたくない。
 オリンパスの社外取締役の来間(くるま)紘氏の経歴であるが、彼は慶応大学卒業後、日経新聞に入社、専務取締役まで上り詰め、そのご日経BPの副社長を務めたのち、系列の愛知テレビの社長を務め、今年の6月末にオリンパスの社外取締役に就任している。2007年の愛知テレビ社長就任の際に、日経新聞の顧問に任命されている。

相次ぐ企業買収の失策で損失がでているオリンパスがメディア対策として日経の大物OBを受け入れたと見られてもいたし方ないだろう。実際、日経における今回の社長解任のニュース、そしてそれ以降の記事を見ても、真剣に取材をしているとは見受けられない。日経の10月20日の「オリンパス解任騒動、海外メディアが相次ぎ続報」という記事見出しには失笑した。

日本生命の不作為

金融ビッグバンで生命保険業への新規参入が起こったが、歴史的に日本の生命保険会社は日本のコーポレートガバナンスを曖昧なものにする一役を買ってきた。今回の日本生命が良い例だ。日本生命がそうであるが、もともと生命保険会社は株式会社ではなく、相互会社、つまり契約者が主の会社形態をとっている。しかしながら、契約者には顧客としての意識しかなく、株主総会に匹敵する会合には社員が出席してきたといわれている。

金融ビッグバン以前は新規参入もなく、生命保険のビッグ2の第一生命と日本生命は、世界的にも巨大な生命保険会社として、多くの大企業の筆頭株主を務めてきた。株主ではあるが、それと交換に、大企業の社員を生命保険の顧客として抱え込むことが事実上許されていたために、持ちつ持たれつの関係ができていた。大企業に勤めた経験のある人ならばわかるだろうが、生命保険のおばちゃんが自由に職場に出入りしていたのはそのためだ。

つまり、持ち主が持ち主意識を持たず、経営陣への監視が全くなかったのが日本の生保なのだ。そのような特異な組織がこれまた日本の大企業の筆頭株主であるのだから、まともなコーポレートガバナンスなど無理な話なのだ。

今回、日本生命は筆頭株主でありながら、全くオリンパスの業績に関しても、社長解任についても無頓着であった。大騒ぎになり、やっと重い腰を上げたように見えるが真剣でないことは明らかだ、。外国人株主らが東証に対して、追加情報開示を要求する書面を出したにも関わらず、日本生命は単にオリンパスに対して「十分な説明」を求めただけである。ブルーンバーグが詳しい。リンクはここ

昔、『Noといえる日本』などという本があったが、今、日本が必要としているのは『Noといえる国民』だと考える。東電やオリンパス、いい加減な新聞社や金融機関にNOというべきではないか?

Monday, October 17, 2011

日本の大新聞の死:オリンパス買収劇のきな臭さを最初にスクープしたのはFACTA

日本の大新聞は相変わらず、オリンパスに気兼ねしながらの報道。大体、海外メディアに出し抜かれたどころではなく、もう3ヶ月前に週刊誌がすっぱ抜いていた企業の大スキャンダルを全くスルーしていたという事実には驚きを隠せない。といいたいところだが、実は、もう有り余るくらいに類似のケースを見ているので、ちっとも驚かなかった。東電の件といい、日本の大新聞が大本営報道という世論操作と政府・企業広報の道具と化してしまっていることは明らかなようだ。FACTAのスクープはもと日経新聞記者の阿部氏。ジャーナリズムは新聞をやめてからでないと無理なようだ。


FACTAの8月号のカバーストーリーは:


オリンパス 「無謀MA」巨額損失の怪
零細企業3社の買収に700億円も投じて減損処理。連結自己資本が吹っ飛びかねない菊川体制の仮面を剥ぐ。
内容はFACTAのオンライン版で読むことができます:リンク


ここで興味深いのは、今回、菊川会長に突如解任されたウッドフォード前社長が、そもそも自分が取締役会に加えられる前にあった海外企業買収に興味を持った理由だ。この辺の事情は米紙ウォールストリート紙が書いているが、FACTAのスクープを見て、詳細な調査を決心したようだ。


日本語版から関係箇所を紹介したい。記事へのリンクはここ


同氏によると、菊川氏との決裂につながった疑念が生じたのは7月、月刊誌「FACTA」がオリンパスによる日本の小企業3社の買収について疑問を呈したと きだった。この3社は2006年から08年にかけて約700億円で買収された。1社は「ヒューマラボ」というフェースクリームやサプリメントなどのメー カーで、それ以外の2社は、医療廃棄物のリサイクルを行う「アルティス」と、電子レンジ用容器のメーカー「NEWS CHEF」だ。同誌は、売り上げも少なく、特に際立って価値のある資産があるわけでもない非上場企業に対して、オリンパスがなぜ大金を支払うのか不可解だ としていた。

FACTA発行人であり、元日経新聞記者の阿部重夫氏はFACTA8月号の記事以前にオリンパス会長にインタビューを申し込み、当然ながら断られる。阿部氏がオリンパスに宛てた書面には一つ重大な事実が隠されている。日経新聞系列の愛知テレビ社長を退任した人物来間紘氏)が、オリンパスの取締役におさまっていることだ。日本において、企業とメディアの癒着がどのように起こるのかがよくわかる。

FACTAleaks――オリンパスへの公開質問状と宣戦布告

2011年07月15日

念のために申し上げましょう。日本経済新聞系のテレビ愛知社長を退任した来間紘氏が、オリンパス取締役に就任されました。来間氏は小生の尊敬する先輩で す。菊川会長以下の経営陣の方々は、FACTAおよび小生がどういうジャーナリズムかをご存じでなければ、来間取締役にお尋ねください。
http://facta.co.jp/blog/archives/20110715001009.html



今年の4月からの学習指導要綱では、小学校で新聞を教材にしての授業などを行うことにしたようだが、先のある子供たちに、「善意を装い悪とつるむ」かのごとくの日本の大新聞を読ませることに、私は大反対だ。